【バイヤー日記】バイヤー中西の出張日記〜佐賀県・神埼市編〜

こんにちは!オマツリジャパンのお店 バイヤーの中西です。
今回は、佐賀県へ行ってきました!
個人的にあまり馴染みのない県だったのですが、今回の出張でいろいろと知ることができました。
佐賀の名称の由来は、肥前国風土記によると、日本武尊が国を周遊した際、くすの木の栄え繁るのを見て「この国は『栄の国』と呼ぶがよかろう」と言われたことが起源だそうです。その後、「栄の郡」そして、「佐嘉郡」と呼ばれるようになり、明治維新・廃藩置県を経て「嘉」が「賀」に変更、佐賀県と改称されました。
また、佐賀県と厳原県という名前の県が合併して「伊万里県」となり、その後、なんと長崎県に吸収合併された時代もあったそうです。
明治16年5月佐賀、神埼、養父(やぶ)、基肆(きい)、三根、小城、東松浦、西松浦、杵島、藤津の10郡(595町村)を長崎県から分離させて、再び佐賀県と改称し、現在に至るそうです。
佐賀県が長崎県の一部だった時代があったとは知りませんでした。
さて、伝統工芸品・尾崎人形の製作者を訪ねて佐賀県にやってまいりましたが、道中、歴史的に有名な吉野ケ里遺跡に寄りました。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代(紀元前5世紀~紀元後3世紀)の遺跡の中で我が国最大の遺跡です。弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌を知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な情報が集まっているそうです。
主祭殿は、吉野ケ里のまつりごとを司る最重要施設です。ここでは、最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式などが執り行われていたようです。
【最高司祭者が神がかりの様子を再現】
最高司祭者(巫女)が、祖霊からお告げを授かるために、蔓を頭や身体にまき、手に小笹を持って、琴の音に合わせて神がかりしようとしています。鏡や玉・剣は、巫女が、祖霊と交信するための祭具です。巫女の発するお告げを、聞き分け、伝える人が、控えています。このお告げにより、いつ田植えを開始するのか、いつ祭祀をするのか等々を決めていたようです。
【吉野ケ里遺跡で行われていたとされる祭祀風景の模型】
キリスト教やイスラム教のような一神教と異なり、日本人は「八百万(やおよろず)の神」と言って、すべてに神が宿ると信じてきました。自然と神様に感謝し、生きることを喜び、コミュニティを育てるために行ってきたのが日本のお祭りなんですね。
日本のお祭りの本来の目的は「神様に感謝する」こと。「祭り(まつり)」という言葉の語源も「祀る(まつる)」です。神を慰め、祈願すること、またはその儀式を指します。
日本全国にある多くのお祭りも基本はここにあるんですね。
さて、その後、尾崎人形工房へ向かいました。 尾崎人形が作られている佐賀県神埼市の尾崎地区は、かつては「肥前尾崎焼」という焼き物の産地だったそうです。唐津焼、有田焼、伊万里焼は聞いたことがありましたが、「肥前尾崎焼」は正直知りませんでした。もう既に窯は途絶えてしまっているとのことですが、尾崎地区のあちこちに、火鉢や尾根瓦など黒いどっしりした焼き物が残っています。
尾崎人形は、神埼町尾崎西分地区に伝わる焼きものの人形で、佐賀県内陶磁器の中で最も歴史的に古く伝統を残しています。伝承によると、「弘安4年(1281年)モンゴルが襲来した元寇(弘安の役)」の際、捕虜になった蒙古軍の兵隊が人形を作って吹き鳴らし、遠い祖国を偲んでいた。そして、その技術が地元民に伝わり、焼き物が盛んになったと言い伝えられています。
しかし、当時モンゴルには窯業技術はほぼなかったので、ここからは想像の世界ですが(笑)、当時、モンゴルの支配下にあった中国や高麗(現在の韓国)(両国とも焼き物が盛んだった)の兵士たちが捕虜として捕らえられた時、地元民によくしてもらい、そのお礼に焼き物技術を伝えたというのは十分ありうる話ですよね。
もし、伊万里焼・有田焼(秀吉が1590年代に朝鮮出兵した時に伝わった窯業技術)よりも早く尾崎地区に焼き物技術が伝わっていたとすると、これは歴史ロマンがあります!
この焼き物はやがて尾崎焼として、瓦、火鉢、鉢物類を焼くようになり、江戸時代には佐賀藩から幕府への献上品のひとつともなりました。しかし、長く続いてきた肥前尾崎焼と尾崎人形も、1960年代に次々と廃窯し途絶えてしまいました。しかし、せっかくの伝統を途絶えさえてはいけないと、1990年に当時の尾崎地区長だった八谷至大(はちや・よしお)さんら3名が「尾崎焼保存会」を立ち上げ、尾崎人形だけが復活。その八谷さんが2009年に亡くなった後、63歳で後を引き継いだのが高柳さんなのです。
尾崎人形は二十種類ほどあり、なかでも「テテップゥ」と呼ばれる鳩笛は子ども達の人気者です。鳩笛は全国の土焼人形産地にはよく見られますが、首を少しねじった独特の姿は尾崎人形だけで「ホーホー」と哀愁のある笛の音が特徴です。
青、赤、黄の3色の伝統色を基本に、他の色も使いながら、現在は多くのバリエーションがあります。全てが手作業で作られているため、佇まいや表情、笛の音色、鈴の音にもひとつひとつ個性があり、とても味わい深くぬくもりある趣が、県を越え、そして海を越えて、多くのひとに愛されています。(尾崎人形資料より)
尾崎焼の郷土玩具のみ生き残り、そこに人から人への思いをのせて伝わっていくというのは素敵だと思います。
【右から高柳正廣さん、城島正樹さん】
お忙しい中、お時間をいただき本当にありがとうございました。
少しでも皆様のお力になれるように微力ながら弊社も協力させていただきますので
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします!
◆佐賀一品堂 (尾崎人形の販売等)(尾崎人形保存会)
所在地:〒842-0015 佐賀県神埼市神埼町尾崎612-1
TEL:090-4986-2797
FAX:050-3730-4473
http://sagaippindou.com
◆尾崎人形工房 (製造・絵付け体験・工房見学)
所在地:〒842-0015佐賀県神埼市神崎町尾崎546
TEL/FAX: 0952-53-0091

この記事をシェアする