ドラマや小説などで取り上げられる偉人が愛した逸品。そのエピソードを知ると、彼らも「同じ人間なのだな」と何だか不思議な感覚を覚えることがあります。
それが歴史上の人物なら、その感覚はなおさら強くなるものです。
今回紹介するのは、歴史上の人物たちに贈られたという焼き物をルーツに持つ縁起物・堤人形。その贈答先はなんとあの、奥州の覇者・伊達政宗をはじめとした伊達家。
なぜ堤人形のルーツが堤焼きにあるのか。堤焼きはなぜ始まり栄えたのか。堤人形から堤焼きの歴史や、現代に息づく仙台城、伊達政宗の影響を探っていきました。
趣ある姿に目が覚めるような冴えた朱色が特徴の堤人形。宮城県仙台市で受け継がれてきた伝統工芸品です。
猫の耳と鯛に施された朱色は、縁起の良い色として、江戸時代から変わらず象徴的に用いられていました。 鯛は、古くから「めでたい」縁起物としてたくさんの人に親しまれてきた魚です。
そんな魚を咥えていると思うと、猫の表情はどこか誇らしげ。大きな鯛を捕まえたことを喜んでいるようです。とはいえ自身の体躯ほどある大物。残さずいただくには、かなりの頑張りを必要としそうですね。
そんな猫の背中には菊の模様が描かれており、縁起の良さが表されています。縁起の良い鯛を捕まえることのできた猫もまた、縁起の良い猫ということなのでしょうか?
仙台市で制作されている堤人形は「堤焼き」という、この地域独自の焼き物にルーツを持っています。 堤焼きがあったのは、堤町という地域。現代では、仙台市青葉区の地名として“堤”という名前が残っています。
この地域はかつて、伊達政宗公のお城・仙台城の城下町として栄えていました。奥州街道の北の出入り口だったことから宿場町として発達し、人や物が多く行き交う賑やかな町だったといいます。
様々な交流があることから文化が交わり、そして近隣では良質な土が取れたことから、やがて堤町で暮らす者の間では焼き物が産業として発達していきました。その焼き物はやがて堤焼きという名称で親しまれるようになっていきました。
堤焼きの特徴は、粗く粘りが強い良質な土を活かした素朴な焼き物に、黒と白の釉薬を豪快に流し掛ける“海鼠釉(なまこゆう)”という手法で装飾されること。
出来上がりはとても美しく、伊達家や家臣、そのほか大名や公家などへの献上品として用いられていたそうです。
堤の住民は下級武士の足軽が多く、堤焼は足軽の内職として広まっていきます。そうして足軽たちは農作業のできない冬場の仕事として堤焼きを焼く傍ら、端材を用いて堤人形を製作していったのです。
堤人形は土地の影響を色濃く受け、誕生以来、江戸をはじめとする他の街で流行した様々な事柄をモチーフとしてきました。
そうしたなかで朱色は縁起のいい色として、江戸時代から変わらず象徴的に用いられてきたのです。
仙台城の城下町として風土を引き継ぎ、東北の一大都市に成長していった仙台の町。現在でも様々な場面で仙台城、そして伊達政宗公の影響力を垣間見ることができます。
仙台城は標高約役130mの山城で、慶長5年、伊達政宗によって建築されました。東と南を崖に遮られており、天然の要塞となっています。
現在もその姿を拝むことができ、敷地内の本丸近くには伊達政宗騎馬像が鎮座しています。本丸は仙台市内から太平洋まで一望できる、素晴らしい景観を誇っています。伊達政宗は今でも仙台の街を見下ろしているのですね。
また仙台を代表するお祭り・仙台七夕まつりにも伊達政宗の面影を見ることができます。じつはこのお祭りを始めた者こそ、伊達政宗なのです。
伊達政宗の活躍した時代、仙台の地域では江戸風の七夕を取り入れており、「たなばたさん」として親しまれていました。
内容は今と変わらず「機織りが上手な織姫と牛の管理を生業とする彦星(牽牛)の夫婦が、年に一度だけ会える日」というもの、布にまつわる技術が上達することを祈る行事でした。
また、江戸時代においてはそれに加え、ルーツである節句行事に近い疫病退散や豊作の祈りを込められていたといいます。
江戸時代当時、仙台をはじめ、全国において女性の主な仕事は機織りでした。 そのため伊達政宗は七夕にあやかり、彼女たちに対し、芸術への関心を高め機織りの技術を向上させ、藩への好影響を期待したのです。
そうして大規模な七夕祭りが開催されるようになり、仙台七夕まつりは400年以上の歴史を経た現代にまで語り継がれるお祭りとなっていきました。
また七夕で象徴的に用いられる笹は、伊達家の家紋にも用いられています。伊達政宗は生涯に8つ、七夕に関する和歌を詠んだとされており、七夕に強い思い入れがあったのかもしれません。
現代まで続くの仙台七夕まつりでは、精巧に作られた3000本もの七夕飾りが仙台の街に飾られます。まさに芸術を重んじた、伊達政宗の想いが受け継がれたの沿った飾り付けと言えますいうことができますね。
七夕飾りに用いられているのは、短冊や吹き流し、折り鶴や紙衣といった7種類の意匠。
それぞれ
短冊…学問や習い事の上達
紙衣…病気や災難の身代わり、裁縫の上達
折鶴…家内安全・健康長寿
巾着…商売繁盛・富貴と貯蓄
投網…豊漁・豊作
屑篭…飾りの裁ち屑・紙屑を入れ、清潔と倹約
吹き流し…織姫の織糸を象徴
を意味しており、どれも物事の上達を祈るものとなっているのが特徴です。
約400年の歴史のなかで、女性のみならず多くの人の願いが、仙台七夕まつりに寄せられていったことが伺い知られます。
祭り期間中は、その彩り鮮やかで優雅な七夕飾りを目当てに、全国から200万人の観光客が訪れるとされています。
地元の方々の心の拠り所となり、そして観光客、海を超えた海外の旅行客をすら魅了する、美しさを持つようになった仙台七夕まつり。美を愛したされる伊達政宗がもし現代の風景を見たら、さぞ喜んだことでしょう。
堤人形や仙台城、仙台七夕まつり……。仙台の街にいまなお息づく伝統には、名将・伊達政宗とその一族の想いが込められているように感じます。
彼らの想いはこれからも受け継がれていき、仙台の街を美しく彩ってくれるのでしょう。