• トップ
  • 読み物
  • ストーリー
  • 「さるぼぼは、人の想いに寄り添うお守りなんだ」有限会社オリジナル・中澤さんの気づきとは?

「さるぼぼは、人の想いに寄り添うお守りなんだ」有限会社オリジナル・中澤さんの気づきとは?

飛騨地区の各地をめぐって出会ったさるぼぼ

「有限会社オリジナルは今から約50年前、父によって創業されました。創業当時の名称はオリジナル観光出版でした。当時は飛騨地区の観光地を収めたポストカード販売していたんです。」と、2代目社長・中澤淳さんは有限会社オリジナルの歴史を話してくれました。

有限会社オリジナル・中澤さん

「父は高山市の出身ではなく、もともとは長野市の人間でした。伯父が善光寺の目の前で、ポストカードなどを販売するお土産物屋さんをやっており、そこの手伝いをして生計を立てていたといいます。
そうして各地へ品物の配送を行っていくなかで高山市の環境に感動し、長野市での経験を活かして、この地で会社を興したんです。」

自ら飛騨地区の各地へ赴き写真を撮影し、ポストカードの素材としていたというお父様。その際に交わされた現地の方々との会話が、さるぼぼの誕生につながっていきました。

「現地に住む方々との会話から父は、山に囲まれた飛騨地域には様々な伝説が残っていることに気が付きました。そうして飛騨地域の伝説をまとめた『飛騨のいろり昔話』を出版したんです。かなりの人気があったと聞いています。
その一方で、諸説あることから本に収録できなかった伝説も存在しました。その一つがさるぼぼの伝説だったんです。」

本には納められなかったものの近隣では実際に製作され続けていたため、お父様は会社としてさるぼぼを製造・販売することを決意。 こうして現在も続く、オリジナルのさるぼぼが生まれたのです。

さるぼぼ

 

さるぼぼの伝説 お父様の起点

しかし、さるぼぼは初めから人気があったわけではなかったといいます。

「この地方の一部では言い伝えが残っていましたが、日本のほとんどの場所で言い伝えは消えてしまっており、観光客の方々にとっては『怖い』『呪いの人形?』といったような声が寄せられたそうです。」

その状況を受け、お父様は売り場にてさるぼぼの伝説を紹介することにしました。

「伝説によればさるぼぼは奈良時代に中遣唐使が中国から日本に持ち込んだのが始まりとされています。

当時は『天児(あまがつ)』という名称で、安産のお守りとして産屋に置かれるものだったそうです。
やがて平安時代になると『這子(ほうこ)』という名で平安京の貴族に親しまれるようになっていきました。そうしてその後、民衆へと広まっていったんです。

また体色も、最初期は白だったそうですが、天然痘の流行に対応して魔よけの朱色が主流となっていきました。名前も、朱が猿の赤ちゃんを思わせることから、それを意味するこの地方の言葉『さるぼぼ』へと変わっていったんです。

さるぼぼ

父はそうしたさるぼぼのストーリーを伝え、安産や子育て、夫婦円満のお守りとして販売していきました。2頭身へと変更し、親しまれやすい風貌としたのもこのころです。」

そうした結果、さるぼぼは多くの方に親しまれるようになり、オリジナル観光出版の大人気商品に。やがてそれに伴い、社名も有限会社オリジナルへと改められたのです。

 

「さるぼぼは人の想いに寄り添うお守りなんだ」

中澤さんが生まれた時にはすでに、多くのさるぼぼが製造され、購入されていたといいます。

「子どもの頃はなんとも思っていませんでした。最近になってその気持ちは大きく変化したんです。」と、さるぼぼへの想いについて振り返る中澤さん。

「実家に戻る決意をしたのは20代の半ばでした。父と話すことがあり、彼の悩みの大半が、私が継承することで解決するものだったんです。また育ててくれた恩に報いたいという想いもありました。」

転機となったのは2020年。まだまだこれから、という時期でお父様が亡くなられてしまったのです。

「危ない、とは言われていましたが実感がなく……。本当に突然、社長となったんです。」

社長を継いだ後は、これから会社をどうしていくか、悩みに悩み抜いたという中澤さん。 コロナ禍による観光需要の減少から会社を守るため、さるぼぼ事業を辞めることも考えたといいます。

「なぜ自分は家業を継いで社長となったのか?有限会社オリジナルとは自分にとって何なのか? そういったことを考え抜いた末、頭に浮かんだのはこれまでに店頭でさるぼぼを買ってくださっていたお客様のお顔でした。

どなたも悩みながらさるぼぼを選び、購入されるときは笑顔になる。選ばれている最中は贈る相手のことを考えられているのでしょう。 さるぼぼには幸せが詰まっているのだと感じさせられました。

さるぼぼ

そうして思い出したのは、学生のころ東京で『岐阜出身です』と自己紹介したときのことでした。
『修学旅行で赤い人形を買った』『お店で買ったさるぼぼを今でも持っている』友人たちからそんな声をもらっていたんです。 当時は気に留めていませんでしたが、製造に携わる人間として、こんなに嬉しいことはありません。
さるぼぼは、人の想いに寄り添うお守りだったんです。」

またお父様が設立された、飛騨さるぼぼ製造協同組合の歴史も、中澤さんの想いを後押ししました。

「父は、さるぼぼが人の想いに寄り添うお守りだと気が付いていたんでしょうね。
飛騨さるぼぼ製造協同組合を作り、お客さまに満足していただけるような品質の向上や安定、ブランディングを進めていきました。

諸説あったさるぼぼの歴史をまとめ、『その人の心を映す』という顔のない理由をしっかりと伝えていく。そうして会社の利益を度外視しながらも、さるぼぼを守っていったんです。

私はそんな父の想いを尊重したい。これからもさるぼぼを、未来に繋いでいきたい。父の死は、私の中にあるさるぼぼへの想いを変えた出来事でした。」

 

さるぼぼをこれからも 中澤さんとオリジナルのこれから

さるぼぼは現在、風水と掛け合わせた様々なカラーが展開されています。

「カラー展開はいわば、さるぼぼver.3なんですよね。
各家庭で受け継がれていた細長い形がver.1、2頭身のフォルムとしたのがver.2そして関わる方々の要望を組んで開発されたのが現在の、ver.3なんです。」

有限会社オリジナル 外観

これからもさるぼぼ、そしてオリジナルの芯にある想いを大切にしていきたいと話す、中澤さん。

「さるぼぼは伝来以来、名前や色、形を変えながら長い間、人の想いに寄り添ってきました。そういったさるぼぼの歴史をこれからも伝えていけるよう、これからも様々な活動を続けていきたいと思っています。
現在は作り手への還元も厳しい状況ですが、挑戦を続けながら環境を整えていきたいですね。」

さるぼぼへの想いが固まってからはさるぼぼグッズを積極的に身に着けるようになったという、中澤さん。 伝統を未来につなげていく姿勢に心を打たれました。

この記事をシェアする