「もともとこの狐面は、私が所属する仙台すずめ踊りチーム・『天晴!赤鞘組』で踊りをする際に、ユニフォームがわりに作ってみたものだったんです。」
そう話すのはたまみさん。今年、定年退職をし、仙台市で仙台すずめ踊りチーム・『天晴!赤鞘組』に所属しながら、狐面の絵付けを手掛けています。
「素材となる真っ白な狐面を仕入れてそこに絵付けをしていくところから作業が始まります。 描くのは伊達正宗公やお祭り、四季の花々といった、私の好きな“和”からインスピレーションを得たもの。
あらかじめスケッチブックに書き起こしてあるんですけど、いざお面にした絵をみると思ったような感じにならなくて……。
『あぁでもない』『こうでもない』と悩みながら最初の下絵を書き上げるまで、長いと3日くらいかかってしまうんですよね。」
そんなたまみさんは、若い頃はグラフィックデザイナーだったそう。「当時はまだPCでの作業はまだなくて。全て手作業で行っていたんです。」と教えてくれました。
「下絵が完了したら次に色つけです。これも昔の経験を活かして、夜に映える、人混みでもパッと目につく色をつくって塗っています。色の配色も1日かかってしまうこともありますね。印刷時のCMYKの割合を考えるのと同じ感覚です(笑)
また華やかな色だけでなくて、それぞれのテーマが持つ影の部分も現せるように、黒を用いています。そうすることで結果的に黒以外の色が映えるようにもなるんです。」
チームで使うために生まれた、たまみさんの狐面。当時は「売り物にするつもりはなかったんです」といいます。
「仙台すずめ踊りというのは仙台市の郷土芸能で、現在はかなりの数のチームが活動しています。 私の所属する『天晴!赤鞘組』のテーマは『お祭りを楽しむ』こと。
その中で『なにか私たちならではの特徴をだせないか?』と考えたとき、以前仙台仙台すずめ踊りを伝承している方から『お酒を飲んで酔っ払う人もいて、楽しく好き勝手にお面かぶりながら踊ってる人もいたよ』と言うお話を聞いたことを思い出しだんです。
まさに『お祭りを楽しむ』と言うテーマにピッタリだと
その方のお話から浮かぶ情景がとても楽しそうで。チームのみんなでお面をつけて踊ってみようとなったんです。
仙台すずめ踊りに深く関わっている伊達政宗公の愛馬が祀られている神社が稲荷神社であったことから、お面は狐の形を選択。最初は自分で描いたり、誰かに描いてもらったりして、それぞれ好きな絵柄のお面を被って踊っていたそうです。
「私は自分でお面の絵を描けたので描いていたのですが、頼まれていくつか他の人の分もお面の絵を描いてあげたんです。 そうしたらそのうちの一人がお祭りでお面を被っていたところ『それどこで売っているんですか』って声をかけられたらしくて。
『じゃあ実際に売ってみよう』ということで販売を開始しました。まさか売り物になるなんて、思ってもみなかったですね。」
最初は20枚程度から始めたという狐面の販売。今では2日間のお祭りで80枚以上が完売してしまうほどの人気商品になっているそうです。
「そのお祭りでは1日目に70枚持って行ったのですが、午前中で売り切れてしまって……。お祭りが終わってから、夜のうちに急いで作って13枚仕上げたのですが、それは2日目の販売開始10分でなくなってしまったんです。本当にありがたかったですし、嬉しかったですね。」
今ではチームの方々がつけられるお面、すべての絵付けも担当されているそう。その数は50枚にも及ぶというのですから驚きです。
たまみさんが所属している、『天晴!赤鞘組』。最初に参加した30年前は、チームなど無く「普及会」という形でした。
「最初はお囃子方でしたが、チームを作ってからは踊り手が多いほうが華やかになると30代は踊りとお囃子両方を、40歳を過ぎてからはさすがに体力が衰えてきたので、お囃子の笛方のみになりました。
きっかけは小学生の息子に何か打楽器をやらせたいと思ったことでした。たまたま知り合いのお母さんで、すでに仙台すずめ踊りのお囃子をやっている方がいて『お囃子で和太鼓をやってみない』と誘ってくれたのです。
お囃子の太鼓なら大人になってもずっと続けられるし、その方が篠笛職人さんだったこともあって、私はお囃子で篠笛を、息子は和太鼓をそれぞれ始めることにしました。」
「もともとお祭りが好きだったんです」と話す、たまみさん。
「仙台には有名な七夕祭りがあり、私は子どもの頃から参加していました。子どもの頃に経験した七夕祭りはとにかく思い出に残っていて……。今は無くなってしまいましたが、からくり人形のおもしろい舞台が出ていたり、終わりの日には笹の飾りをもらったり。祭りの始まる前の、ワクワクを隠しきれない空気も印象に残っていますね。」
そうして仙台仙台すずめ踊りに熱中していくうちに「30年が経っていたんです」とたまみさんは話します。 たまみさんがそれだけ情熱を注ぎ込めた理由とは何なのでしょうか?
「たくさんの人と繋がれるというのが、一番の魅力だと思います。
今のご時世、知らない人と話をするのは難しいものです。ですがお祭りの中だと、近所の人もそうじゃなくても、一緒に楽しんで顔見知りになれると思うんですよね。
子どもであれば、そういったつながりを通して目上の人に対する挨拶とか、自分より小さい子達に教えるといった人間関係の基本を学べますし、大人であれば、繋がった先に新たな楽しみがあると思っています。
私の身に起こったことなのですが、仙台仙台すずめ踊りをしていたことで、雲の上だと思っていた方が、私たちのチームでお祭のとき一緒に踊ってくれました。太鼓芸能集団の中で独自の舞踊をされていてカリスマと言っても過言ではない方で……。あの嬉しさは、一生忘れることはありません。
思えばグラフィックデザイナーを志したのも同じ理由があったのかもしれません。子どもの頃から絵が好きでしたが、近所の壁に落書きするたびにおじさんに怒られてしまって、でもそれで会話が起きるのが嬉しくて。
『どうやって描いたの?』と会話が始まることもありましたし、何かを通して誰かと繋がるのが好きなのかもしれませんね。」
「あと20年は描いていきたいですね」と、たまみさんはこれからについて話してくれました。
「やっぱり、お祭りを通して成長できることってあると思うんですよね。私で言えば、それは仙台すずめ踊りを通して様々な人と繋がれることでした。
ですが仙台すずめ踊りもお祭りも次の世代に託していかなければ、無くなってしまいます。特に仙台すずめ踊りは、その考えをしっかりと持たなければいけないんです。
というのも仙台すずめ踊りは、仙台城の城壁を築いた石工が家族で継承してきた踊りであり座敷芸で、口唱和により伝わっていました。戦争で中断された時期もあったと聞いています。
それが近年、仙台市の取り組みによって、やっと楽譜に起こされ広まり、ここまで至っているんです。
なので伝承の仕組みという意味ではまだまだ歴史が浅く、だからこそ気を緩めずに次の世代に繋いでいかなければなりません。 小さい子が少しでもお祭りに興味を持つきっかけとなってくれたらいいですね。」」
現在たまみさんのお家では、ご主人もお囃子の笛方、息子さんはお囃子の太鼓が足りないとき助っ人として、娘さんは出産と育児のためお祭りを離れていましたが今年からお孫さんと一緒に踊って、それぞれの時間で楽しんでいます。
「5歳のお孫さんに、ゆくゆくは絵付けを伝えていきたい」というたまみさん。ほかにも若い方に伝えていきたいと話してくれました。
お祭り、そして仙台すずめ踊りに対する熱い想い。これからのたまみさんの作品や活動が楽しみですね!