こんにちは!オマツリジャパンの高橋です。
みなさんは「もう少しで手に入る!」と思い、何かを深追いしてしまった経験はありませんか?追ってみて、実は手に入れるまでものすごく遠い道のりだとわかっても、かけた時間のことを思うとやめるにやめられませんよね。
ただその道のりを歩んだからこそ、学べることや新たな出会いがあるのかもしれません。
今回はそんな故事から生まれた縁起物・牛に引かれてのご紹介です。
牛に引かれては、長野県にある善光寺の門前町・大門町で活動している、武井工芸店の取り扱う縁起物です。
武井工芸店は、農業と共に暮らしてきたこの地域特有の美術品・農民美術を取り扱うお土産物屋さんで、『心のこもった“信州からの贈り物”』をテーマに活動しています。
牛に引かれての見た目は一言でいうと木彫りの牛で、五色幕(※)に似た装飾と、白い布を頭に引っ掛けているのが特徴的。
木彫りの牛といっても鮭を加えた熊のような怖さはなく、クリっとした愛らしい目をしています。触り心地も滑らかで、サイズも手のひらに収まるなど、かわいいのツボを抑えた縁起物です。
(※お寺で使われる五色の垂れ幕。それぞれの色がお釈迦さまの教えを表している。)
・青(緑)はお釈迦さまの髪の色。心の落ち着いた状態である【禅定】を表している。
・黄が表現するのは、何事にも動じないお釈迦さまの姿、【金剛】。
・赤は、脈々と流れるお釈迦さまの血液を表し、常の【精進】を伝えている。
・白は清らかな歯で【清浄心】を表現している。
・黒(紫)はお釈迦さまの衣(お袈裟)の色。何ごとにも堪え忍ぶ、【忍辱】を表している。
もともと善光寺の周辺の地域には、善光寺に伝わる故事をモチーフとした郷土玩具が存在していました。しかし、現在ではその文化が途切れてしまい、現存しているのは博物館に所蔵されている物のみ、といった状況なのだそう。
そこで武井工芸店の店主・武井さんが現代の技術でリファインできないかと企画し、農民美術の作家さんの手によって誕生したのが、この牛に引かれてなのです。
牛に引かれてのモチーフとなった、善光寺に伝わる故事。「牛に引かれて善光寺参り」という名前で知られています。 内容は以下のようなもの。
「信心の薄い老婆が、洗濯をしていたところ、洗濯していた布を通りがかった牛が角に引っ掛けて去っていってしまった。おばあさんが牛を追いかけていくと、やがて善光寺に到着。一晩過ごし、観音様よりお告げを受けたことで信心深くなり、やがて極楽浄土に行けた」
この故事に出てくる牛は観音様の化身といわれています。故事において、観音様が牛となった理由は定かではありません。
しかし、観音信仰を持つ仏教の地域では、観音様のお父様が生まれ変わって牛になったとされています。直接の関係はありませんが観音様と牛の繋がりを感じられますね。
さて老婆が向かった先である善光寺。このお寺は1400年以上前に建立されたといわれています。
ご本尊である「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)」は、552年の仏教伝来の際に、百済から渡ってきた仏像で、日本最古の歴史ある仏像です。
また善光寺は、宗派が生まれる前より親しまれていることから、古来より宗派を問わないお寺として親しまれてきました。
武井工芸店のある大門町は、その善光寺の門前町にあたる地域です。
鎌倉時代にはすでに、参籠者や善光寺如来を信奉してその霊験を人々に説いてまわった聖たちが行き来する、都市的な場所が形成されていたといいます。
中世後期になると、そういった人々への集まりに商売の活路を見出し、職人や芸能者など、さまざまな階層の人々が集まり住み、全国でも有数の門前町に発展していきました。
武井工芸店の歴史が始まった江戸時代の間もない頃には、中山道が誕生。そこから別れた北国街道は善光寺を経て、北陸道に繋がっていました。そのため大門町をはじめとした善光寺周辺の地域には、本陣や脇本陣(※)の旅籠屋、織物屋などが立ち並ぶようになっていきました。 (※参勤交代の際に大名や家来が宿泊する場所)
しかし明治、大正、昭和と時代を経ていく中で交通手段が発達し、人々の生活様式も変化。その結果、暮らしの中心は大門町から別の地域へと移っていきました。
昭和50年にもなると大門町は『さびれゆく大門町』と言われるように。
そうして町の行く末を憂いた住民の方々は、この問題と向き合い、やがて『善光寺の前庭』というコンセプトが考案されたといいます。
行政やアメリカ出身の空間デザイナーの協力を得ながら町は整備されていき、松の木や常夜灯が並ぶ、昔懐かしい趣のある今の景観が出来上がったそうです。
平成中期には蔵を改装した、しっとりと落ち着いた雰囲気の商業施設も開業。大門町ならではの特徴を活かした、善光寺観光の魅力づくりを進めています。
善光寺、そして大門町の歴史と深い関わりのあった、牛に引かれて。
善光寺の故事の老婆が信心の心を見つけたように、そして大門町の人々が『さびれゆく大門町』から『善光寺の前庭』というあり方を見つけたように。 牛に引かれては、迷いながらも進むあなたの道筋を照らし、導いてくれるのかもしれません。