津軽藩の夢を形に 宙に揺蕩う”金魚ねぷた”【商品紹介】

こんにちは、オマツリジャパンの高橋です。
夏になると各地で開催されるお祭り。はじめてのお祭りでもどこか懐かしく、それでいて昂ってしまうのは、日本の暮らしと祭りや伝統が、切っても切り離せないものだからかもしれません。

今回ご紹介するのは、そんなお祭りに関連した商品。青森県で古くから親しまれている金魚ねぷたをモチーフとした、金魚ねぷたクラフトキットです。

全国どこでも“金魚ねぷた作り”を楽しめる商品を目指して

金魚ねぷたクラフトキットは、老若男女、すべての方が“金魚ねぷた作り”を楽しめるよう、パッチンクラフトという方式が採用されています。

パッチンクラフトとは、木版にレーザープリントを施して、パーツを切り取れるように加工した製品ブランドのこと。
簡単にいうと、プラモデルくらい簡単に金魚ねぷたが作れちゃうクラフトキットなんです。製造を手がけるサトウ孔芸さんがシルクスクリーンの会社さんということで、紙の質感もバッチリ。

ねぷた絵の掠れまでしっかりと表現されています。特徴的な尾ヒレもちゃんと再現されており、揺ら揺らとゆらめきます。

またディスプレイ用の留め具が同梱されていたり、100円ショップで購入できるライトを置くスペースがあったりと、観賞のことまで考えられているのも嬉しいポイント。
ちょっと手を加えてあげれば、気軽に、弘前の夏の夜を体験できます。

ねぷた・ねぶたの由来

青森県のねぷた・ねぶたの由来は諸説ありますが、有力なのは“眠り流し”という農業の行事からきているというもの。

東北地方は古くから、いくつもの山脈とそれによって育まれた平野や盆地があり、広大で肥沃な大地を活かした農業が親しまれていました。 また山間部では、豊かな気候と土地を活かした畜産業も東北地方の重要な産業でした。

しかし夏の時期はなかなか寝付けなかったり熱中症などがあったりして、作業中に意識が朦朧としてしまうことがあったといわれています。
そういった状況を総じて、当時の人は“眠気”と考え、自分たちの代わりに依代に“眠気”を預け海に流すことで、真夏の農作業をどうにかして乗り越えようとしていたのです。この文化を“眠り流し”といいます。

そして時が経ち“眠り流し”に、中国から伝来し日本独自に変化した七夕の文化が混ざりあい、東北地方ならではの七夕文化が発達。青森県では、人の背丈の数倍もある山車が練り歩くねぶた・ねぷたが親しまれるようになっていったのです。

夏に行われる、ねぶた・ねぷた。厳しい季節におこなわれる背景には、東北地方ならではの歴史があったのですね。
現在でも東北地方は、日本の農業において重要な役割を果たしています。日本海側はお米が、太平洋側は果物が有名です。
東北のお祭りに行かれる際は、ぜひその町並みにも注目してみてくださいね。

津軽錦を誰でも楽しめるように 金魚ねぷたの歴史

さて今回のクラフトキットのモチーフになっている金魚ねぷたですが、弘前市では祭り期間、玄関に飾られたり、手持ち灯篭として用いられたりしています。
町中を照らす、かわいい金魚。想像するだけで幻想的な光景ですね。

この金魚ねぷたは、かつて津軽藩によって飼育・改良された青森県の金魚・津軽錦がもとになっているといわれています。

当時の津軽藩は津軽錦を用いて交易を行おうと考えており、津軽錦はかなり高級品でした。
津軽藩にとって、金魚はまさに「幸せを運ぶ魚」。そんな金魚を、たくさんの地元の人に親しんでもらおうと作られたのが金魚ねぷただった、といわれているのです。

おわりに

ちなみに津軽藩の構想していた津軽錦の交易ですが、実現することはありませんでした。
しかし、青森県弘前市で「金魚ねぷた」が親しまれている様子は、後にある商人の手によって山口県柳生市へと伝来。
独自の進化を遂げ、やない金魚ちょうちん祭りという現在にまで続く文化へと発展していきました。

津軽錦による交易は叶いませんでしたが、その志はしっかりと遠く離れた地へと伝わっていたようです。

金魚ねぷたクラフトキット

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