何をどうやっても進んでいく人生。けれどごく稀に、思いもよらぬところで昔の思い出に再会することってありませんか?
それは人だったり、ものだったり色々な対象があると思います。でも、出会った瞬間に感じる「自分の人生に意味があったんだ」と感じるあの気持ちは、きっと何が対象でも変わらないことだと思うんです。
今回はお届けするのはオマツリジャパン・お祭り暮らし想像部の部長・菅原健介のエッセイ。
彼が仕事をする中で再会した、子どもの頃の体験のお話です。
何度も訪れたことがある場所。しかし、時が流れ、私自身の感性が変わっていく中で、「こんな素敵な手仕事がこの地域にはあったんだ」「こんなに面白い風習が地域では脈々と継承されているのだ」と再発見することが最近多々あります。
私は宮城県に生まれました。幼少期は父の転勤にあわせて家族で東北各地を転々としたことを、小さいながらにみていた各地の風景を今でも覚えています。
お祭りをきっかけに仕事のご縁あって東北各地を訪れることが多く、今でこそよく自己紹介でこんな話をすると、親しみを感じていただくこともしばしば。だからなのでしょうか、ありがたいことに仕事でご一緒させていただく方々からどんどんとご縁が広がっていっているのを感じます。
その中で、かつて暮らしていた東北の各地域で、自分が幼き日には知りえなかったコトや、見ていたけれど通りすぎてきたモノ、そして今ご縁が繋がったヒトとの出会いや再会がとても新鮮で面白いのです。
最近こんなことがありました。江戸時代から宮城県仙台市に脈々と続く土人形「堤人形」。焼き物の町だった仙台にある堤町の陶工が、土が凍ってしまう冬の間の産業として人形作りを始めたと言われています。この堤人形を手がける職人さんと弊社のスタッフの繋がりから私も職人さんとお話しする機会がありました。
もともと生まれ育った場所でもある仙台の工芸品ですから、堤人形のことはもちろん存じておりました。
職人さんとお話しする中で、「私が堤人形を知ったきっかけは、そう、小学生の頃に体験した職人工房見学でした。職人さんの工房までお邪魔して…」と話を続けていくと、まさに今お話ししてくださっている方であることがわかり、二十数年ぶりに再会することができたのでした。
かつて作業を見学していた職人の方と再会することができたのも大変驚きでしたし、巡り巡って、そういった地域の伝統文化を一緒に発信するお手伝いをさせていただいているというのも大変ありがたく光栄なことだと感じます。
生まれ育った東北や全国地域を探訪する中で、まだ見ぬ出会いや魅力を再発見している小生ですが、これからも少しずつ出会った素敵なヒトやモノ、コトを徒然なるままに書き連ねていきたいと思います。