他人からしたら普通の置き物なのに、そこに込められたストーリーが自分の大切にしたい想いと繋がって不思議な存在感を持ち始める。
あなたはそんな経験をしたことはありますか?
ライター・タカハシコウキさんに、瓦猿を購入に至るまでの経緯、そしてそこに込めた想いを綴ってもらいました。
僕が瓦猿を買おうと思ったのは、その強い言葉に惹かれたからだった。
斜め上を自然に、それでいて迷うことなく一点をと見つめる眼。赤い桃を抱く、柔らかい腕。そして何よりも「変わらざる」―――「決して変わらない」―――という決意に満ちた、語呂遊び。
手元に置かない理由が見当たらなかった。
「変わらざる」想い……、決して変えたくない想い。信念とも言い換えられるであろうそれは、やっと見つけた大切なものだから。
小さい頃の目標は「賢く生きること」だった。たかだか30人のクラスで同じような毎日をこなすにはとても効率のいい過ごし方だったと思う。
クラスのトレンドを探り、世の中のトレンドも探り、できることはやりつつ、できないことには手を出さない。閉じられた世界ではそれでよかったけど、やがて社会に出るとなった頃にこの性格に大いに苦しめられた。
だってやりたいことがないのだから。“いい感じ”に過ごせれば、それでいいのだから。
とにかく大急ぎで自分の人生を振り返った。「あれはどう?」、「これはいいんじゃない?」心の中繰り返す自問自答。
そうしてやっと見つけたのが「誰かの力になれる仕事がしたい」という想いだった。
その手段には、自分が今までたくさんの場面で助けられてきた「言葉」を使いたいと思った。
だから僕は今、ライターとして仕事をしている。し、この先もそうやって生きていきたい。
やっと見つけたこの信念を、失うわけにはいかないのだ。
瓦猿はとにかく、見た目の印象と実際に手に持った時の印象のギャップがすごい。
見た目はなんとなくかわいいというか愛でたくなる印象なんだけれども、触ってみるとその印象が180度変わる。
なんというか、もう“瓦”。見た目よりズシリと重くて、硬く、ひんやりしている。お城や古式なお家にある塀の瓦、そのままなのだ。 そのためか触れると微かに粉っぽい感触が手に残る。
赤い部分を塗装する際は、塗料が瓦の不深くへ染み込んでしまうため、繰り返し繰り返し、根気良く塗っていくそうだ。
今ここにある瓦猿は、まさに“変わらざる想い”に支えられて、存在しているというわけだ。
僕は想いにとんでもなくこだわりを持っている。
なにか一つに魅せられ、哲学を見つけ、それを続けていきたい、成し遂げたいという想い。そこには美しさを感じるからだ。
自分が人としてそうありたいし、手がける仕事もそうでありたいと思っている。
瓦猿の制作者・野上さんは次のように話していた。
「瓦には元来、そこで暮らす人々のために神様への願いが込められていました。(中略) “瓦猿”も同じです。“瓦猿”は最初、商売繁盛や安産祈願といった願いが込められた、町の人々に親しまれる小さな猿の置物でした。
それがやがて多くの人から郷土玩具として注目を浴びるようになり、日吉神社には、これまでに奉納された膨大な数の“瓦猿”が保管されています。“瓦猿”の型も、原型に少しずつ手が加わって現在の形となっています。
私はそういった、積み重ねられてきた想いを受け継いでいきたいんです。」
あぁこの人は“瓦”に魅せられているんだ。人がこんなにも人生をかけて繋いできた想いを信じてみたい。
論理的な根拠も、信頼に足る数字も一切ない。けれどこの瓦猿は、きっと僕に寄り添ってくれる。そう思った。
どうしても手元に置いておきたいと感じる、想いのある商品なんて、そうそう見つかるものじゃない。いや。公表されていないという方が正しいだろうか。製造業はどうしたって数を売る勝負だし、そのためには機能や価格で訴求した方が効率がいいからだ。
でもだからこそ“瓦猿”のような、心をグッと掴んで離さない、心に寄り添ってくれるモノを大切にしていきたい。
“瓦猿”の定位置は玄関。取材に出る僕を、今日も見守ってくれている。