「うちの『めんや』というのは、お面屋さんという意味なんです。 創業は文久2年・1862年。ちょうど幕末が終わり明治になるころですね。村で行われる小芝居のお面づくりや小道具づくりを主業としていたため『めんや』という名前なんです。」
そう話すのは、中島めんやさんの七代目・中島祥博さん。
創業後は良質な和紙を求めて拠点を変えたり、加賀八幡起上りなどの伝統玩具を扱ったりしながら、現在まで続いているのだといいます。
「160年間のなかで取り扱う商品も変化していきましたが、現在は職人さんたちの作る郷土玩具を主に扱っています。
私が子どもだった50年前は、京都から伝統を受け継いだ金沢という土地柄、起上りなどの郷土玩具を扱うお店が多くありました。 ですが時代が経つにつれ、そういったお店は減少し、現在、起上りを取り扱っているのはうちだけになっているんです。」
起上りは、金沢の家に必ず一個はあるといってもいい、金沢を代表する郷土玩具です。 北陸新幹線が開通してからは、取り上げられる機会が増え、人気が加速。生産が追い付かなくなる時期もあったといいます。
「なくなってしまった他のお店は残念でしたね……。 バブルが弾け不況が続いたので仕方がないですが、あともう少し頑張っていれば……と思っています。」
新幹線開通前からコト消費のトレンドを察知し、体験などのワークショップを開催するようになったといます。
コロナ禍では感染対策の観点でお店を締めたものの、情報収集は続けていたという中島さん。商店街の方や県の職員の方々と連携し、協力しあい、コロナ禍を切り抜けていきました。
中島さんは「情報や人と人とのつながりはとても強いものだと実感しました。」と当時の活動を振り返ります。
「お店を継いで、感じるようになったのは『伝統工芸はずっと繋がってきた大切な技術だ』ということです。
生まれた時からお店があったため、私にとって郷土玩具や伝統工芸品はとても身近なものでした。しかし、お店を継いで様々な分野の方々とお話をしていくうちに『この職人さんたちの技術を伝えていきたい』と考えるようになりました。
同時に私たちはお店として『現代の人に好まれるアイデアを職人さんに伝える必要がある』とも感じたんです。
郷土玩具や伝統工芸の本質は技術にあります。
であるならば、それ以外の部分は変わってもいいと考えましたし、そうしなければ業界として生き残っていけないと思いました。
職人さんたちの仕事は技術を発揮して、モノを作ることです。
ならば私たちは職人さんが思いっきり力を発揮できるよう、今求められているモノを伝えなければなりません。
そうして職人さんたちにアイデアを伝えるため、多種多様な情報収集をするようになったんです。」
現在はお店のワークショップに加えて、小学校や公民館などでも郷土玩具を広める活動をしているという中島さん。
「現代で郷土玩具や伝統工芸品を受け入れてもらうためには、見た目や機能性だけでは足りないのではないかと考えています。 必要となってくるのは、そのモノの奥に秘められた歴史や作り手の想いだと思うんですよね。
ワークショップも同じで、体験して自分で作ったものがカワイイ、愛着がわく、というのもあるんですけど『こんなに手間がかかってるんだ』という秘められたエピソードを知っていただきたい、という想いもあるんです。
今、私たちの業界は高齢化が進んでいます。この状況で大切となってくるのは、売れること、儲かることよりも、伝統をつないでいくことなんだと思っています。 これからも色々な方と協力しながら、郷土玩具や伝統工芸の魅力を発信していきたいですね。」
中島さんの持つ業界全体への考えやこれからについて。そして何より、変わることへの意欲。すべてがとても学びになるお話で、聞いている私たちの側が大きくうなづいてしまいました。
改めてオマツリジャパンとして、発信や挑戦を通し、お祭りや伝統文化を伝えていきたいと感じました。