ゆるっとした表情でこちらを見つめる、土人形。その素朴な表情を見ていると、自然と自分の表情もほころんでしまいます。 この伝統工芸品・帖佐人形をつくられているのは、折田貴子さん。
「帖佐人形とは、約450年前に生まれた、鹿児島県姶良市(あいらし)の伝統工芸品です。当時、朝鮮出兵から帰国した島津義弘は、朝鮮の人々を連れて帰国しました。 朝鮮の人々はお殿様に献上する茶碗などをつくっていたといいます。
そんな日々のなかで、彼らは故郷に想いを馳せ、犬の置物を制作しました。その製法が地域で内職を営んでいた40件ほどの下級武家へと広がり、帖佐人形の文化が生まれたのです。」
しかし長い歴史のなかでは、あまりに素朴な絵付けによって見向きされなくなったり、畑のカカシに使われたりといった扱いを受けることもあったという帖佐人形。 さらには太平洋戦争という大きな出来事によって昭和の頃には、その伝統は途絶えてしまっていました。
そんな帖佐人形の歴史を復活させたのは、かつて人形を製造されていた武家の末裔であった折田さんのお祖父様と、そのご友人。
戦後、姶良市では帖佐人形に関する資料や窯が見つかり復興の機運が高まりました。そうして折田さんのお祖父様とご友人は“帖佐人形保存会”を立ち上げ、調査を開始したのです。
途中、ご友人が離脱しつつも、作り方を記した資料や、子どもたちの遊び道具になり割れてしまった帖佐人形を入手し、復元するなどの活動を行なっていったといいます。そうして、折田さんの家に保存されていた型が発見され、窯の整備がなされたことで、帖佐人形の文化が復興したのです。
帖佐人形は伝統工芸品であり、その製造もまた伝統的な工程を経ています。
「帖佐人形の素材となっているのは土なのですが、その土は姶良市の田んぼから採取させていただいたものを使用しています。自分で掘っているのですが、とにかく力仕事で……。土を掘った次の日にはいつも寝込んでしまうんですよね(笑)
最近では地域の大学生や弟の友人にも手伝っていただています。どちらかというと、作業が楽しいというよりは、そのあとのお疲れ様会に人気があるようですが(笑)」
採取した土は、折田さんの自宅の庭で保存され、少しずつ制作に用いられていきます。 土をこね、粘土を型にはめ、乾燥させたり、素焼きをしたり……。また本焼きをおこなう際は、幾つもの人形を一気に焼き上げるため、三、四ヶ月の時間が必要だといいます。
すべての制作工程を合計すると、一個の帖佐人形をつくるのには約半年ほどかかる、と折田さん。
「伝統工芸品なので、どうしても製法が原始的な感じなんですよね。けれどそのなかでも少しずつ変化していることもあって。 例えば私は帖佐人形の制作講座もやっているのですが、そこではかつて田んぼで採取した土を使っていました。しかしそれだと土の採取の頻度が高くなってしまい……。悩んでいたときに、県の職員さんからあるアドバイスをいただいたんです。
その方は私に『時代は変わるんです。時代が変われば、土も絵の具も人形の形態も変わります。そういった変化を受け入れつつ、ご自身の使いやすい土や絵の具を使うなど、進化をしていってもいいと思っています。』とおっしゃってくださりました。それからグッと気持ちが楽になって。講座で使う土は、土人形作りに適した土地の土を購入して使用し、絵の具もアクリル絵の具を使っています。
もともとこだわりすぎる性格なので、自分で「こうでなければならない」という制約を設けて縛られてしまっていたんですよね。
一方で伝統工芸品として制作する場合は、従来通り田んぼの土を使い、岩絵具で絵付けをしています。」
現在、お祖父様から承継し、ただ一人の帖佐人形職人として活動をされている折田さん。
「私は小さい頃から粘土遊びが好きで、母に『ご飯よ』と言われても夢中で粘土遊びをしているような子どもでした。 祖父が帖佐人形をつくっている間も、近くで一緒に遊んでいたのを覚えています。
帖佐人形に携わるようになったのは、その頃よりもずっと後のことですが、違和感はありませんでした。それよりも『祖父が復興させた伝統を繋いでいきたい』といった気持ちが強かったですね。」
とにかく優しく、のんびり屋さんでおおらかだったという、お祖父様。
「ある日、母が『なんでおじいちゃんは、いつもそんなにニコニコしているの?』と聞いたことがあったんです。
すると祖父は『広い野っ原に座ってるような感じなんだ』と返していました。抽象的なんですけど、なんだかその言葉がしっくりきたんですよね。
そんな祖父だから亡くなるときも、フワッと亡くなって。『そうなりたい』と思ったのを覚えています。」
編み物や書道、ベビーベットづくりなどなんでもできる器用な方で、帖佐人形の顔を描くのも一瞬だったと、折田さんは振り返ってくれました。 「祖父と過ごしたなかで印象に残っている光景があるんです。
その日は冬の、とても寒い日でした。
場所は畳張りの作業場。制作に必要な原料を湯煎するために、真ん中にある七輪でお湯を沸かしていました。
モクモクと湯気が上がり、日ざしがそれを綺麗に照らしていて……。祖父と差し向かいで、取り留めのない話しをしながら絵付けをしていたんです。 特別なことなんてない日常のシーンなんですけど、とっても幸せな時間だったなと思っています。」
そんなお祖父様の描く帖佐人形の表情は、適度に力が抜けていて、お客様からは好評だったといいます。
「私は書き込み過ぎてしまうことが多く……。当初、お客様には『あなた書きすぎよ』と言われてしまうこともありました。
祖父からは絵付けについて『好きなようにつくればいいよ』としか伝えられてなかったのですが、今思えば、こだわり過ぎてしまう私のことをわかってのアドバイスだったのかもしれません。
力を抜いた表情の人形なら、見る方も気楽に見られますしね。」
近年はコロナ禍によって落ち着きができ、お祖父様のおっしゃっていた「野原にいる気分もわかる気がしてきた」という折田さん。
これまで何度か迷いもあったと打ち明けてくれましたが「人形だけに没頭できる時間は何にも変えがたかった」といいます。
「土をこねたり、型に入れたりするのは大変ですが、ずっと集中してできる絵付けの工程は私にとって至福の時間なんです。 絵付けをしないとその日は『気持ち悪いな』と思うほどなんですよ(笑)
また、もともと人前でお話をするのは苦手だったのですが、人形のおかげでたくさんの人脈ができ、話すのも苦ではなくなりました。
帖佐人形は、かつて節句人形としてお子さんのいるご家庭に贈られたり、厄除けの縁起物として新築のお家に贈られたりして、家族の健康を願う贈り物として親しまれていたと聞いています。
帖佐人形からもらったモノを、今度は私が、お客様に届けられるように。一作家としてこれからも頑張っていきたいですね。」
インタビュー中はずっと笑顔だった折田さん。『好きなように』という、最愛の孫へ向けたお祖父様のメッセージは、しっかりと折田さんの心に刻まれているんだなと感じました。