受け継がれるバトン 尾崎人形担い手・城島さんの想いと高柳さんの努力

尾崎人形と尾崎焼 尾崎人形の歴史

「尾崎人形はこの地方に古くから伝わる人形で、諸説ありますが、そのルーツは鎌倉時代の元寇にあるとされています。
戦闘後に捕虜として尾崎に残された蒙古(モンゴル)軍の支配下にあった中国や高麗(現在の韓国)の兵士が、尾崎の方々から受けた対応に感動し、故郷で親しまれていた焼き物の製法を教えたのです」

尾崎人形 鳩笛(テテップウ)

そう話すのは、佐賀一品堂店主・城島さん。
朝鮮等の人々より伝えられた焼き物の技術は、その後、尾崎焼として親しまれるようになっていきました。多くの生活雑器が焼成されていく過程で土が余る場合もあり、それを活用して作られたのが尾崎人形なのです。

「尾崎人形はもともと、縁日で手頃に頼んでもらえることを目的とした 、子どもの健康を願う“縁起の良い玩具”でした。そのため、価格が低く素朴な見た目で、簡素な色合いが特徴となっていったんです。」

工芸品のように細かく何度も色を塗り重ねていくわけではなく、生活に密着し親しみやすい方向へと特化していった尾崎人形。城島さんの言葉にある通り色彩は、赤・青・黄の3色がメインで、全体的な主張は控えめです。
「存在感の少ない人形なので、色々な空間に調和すると思いますよ」と城島さんは話してくれました。

 

高柳さんから城島さんへ 尾崎人形のバトン

城島さんが尾崎人形と出会ったのは2015年あたりのことだと言います。

「社会人となってから大阪で働いていました。そうしたなかで、作家さんの個性や地域の方々の想い、その土地の歴史などがこもった伝統工芸品や郷土玩具に興味が湧いてきました。そうして『それらを伝えるお店を作りたい』と地元に帰り“佐賀一品堂”という雑貨屋さんを開店したんです」

城島さん

隣の地区出身だと話す城島さん。
佐賀一品堂の開店後は「せっかく地元で雑貨店を開いたのだから」と、近くにある尾崎人形の担い手・高柳さんの工房で開催されていた、絵付け体験に参加。この出会いが城島さんの生活を変えました。

「参加した際、高柳さんに佐賀一品堂のことを伝えると『お店で取り扱ってみないか?』と言ってくださったんです」

絵付け体験を始めた経緯を高柳さんはこう振り返ってくれました。

「先代の尾崎人形の担い手だった方がとても熱心な方で、地元の小学校の授業で絵付体験を開催していたんです。それに倣って、工房に来る人にも『楽しんでもらえないか』と考え、絵付体験を始めました」

高柳さんが尾崎人形の担い手となったのは2009年のこと。定年に伴い退職したのを機に、地域内での話し合いを経て決まったと話してくれました。

高柳さん

「もともと尾崎人形は尾崎焼から派生しているので、尾崎焼職人だった父が仕事の合間に作っていたのは覚えています。けれど関わりがあったのはそのくらいで。担い手に決まった時はびっくりしましたね。担い手となってからは、地域や県の図書館にいき尾崎人形の歴史を理解していきました」

担い手の需要性について、城島さんが言葉を引き継いでお話してくれました。

「尾崎人形などの郷土玩具というのは、調べれば調べるほど、知らなかった知識が出てきます。なぜ担い手である私が知らないのかというと、それは一度途絶えてしまっているからなんですよね。 担い手がいなくなってしまっては途絶えるほかなく、途絶えてしまうと復活は困難です。知識の継承はさらに難しいものになってきます。 だからこそ文化の継続、そして次の担い手の育成は大切なことなんです」

城島さんは尾崎人形の文化を承継し制作に集中するために、尾崎西分へ引っ越しし、佐賀一品堂の店舗を閉店させました。

現在、佐賀一品堂は、オンラインや各種取引における窓口として活用されています。

 

積み重ねられた想いを胸に

尾崎人形の製作手順についても、城島さんより説明をしていただきました。

型に粘土をはめ、細かな作業を経て数時間、乾燥。
その後、継ぎ目が出ないように水で繋ぎ目を埋め、笛と土鈴で作業に差が出るものの、形を整え、さらに乾燥を進めます。

その後、ある程度乾燥が終わったものが溜まると焼成を開始。焼きあがった後は絵付けを行い、完成となるのです。

「笛と土鈴で多少変わりますが、例えば笛の場合は綺麗な音が出るように、空気を入れる穴と出る穴を空けます。ひとつ一つ厚みが違うので、吹いてみて音を確認してみての繰り返しですね。調整を終えたものは本当に澄んだ、綺麗な音色を響かせるようになるんですよ」
と城島さん。心掛けているのは、積み重ねられてきた伝統を忘れないことだといいます。

尾崎人形 鳩笛(テテップウ)

「先ほどお話しした笛でいえば、元来は子どものお守りとして親しまれていました。江戸時代あたりは『【疳の虫】という虫が子どもに取り憑いているから、夜泣きする』とされており、『土を素材とした笛を吹くことで、【疳の虫】は土に帰っていく』と信じられていました。そういった願いを忘れずにいきたいと思っています。

また絵付けも重要ですね。現代ではやろうと思えばたくさんの色を塗り重ねられますが、尾崎人形の【らしさ】を損なわないような塩梅を心がけています。」

 

尾崎人形を未来へ繋ぐ仕組み作り

これからについて伺うと「尾崎人形を生業にでき、承継する人を見つけられる仕組みを作っていきたい」と城島さんは話してくれました。

「今、製作で使っている型は、高柳さんの先代はじめ昔から使われているものもあれば、受け継ぐことが難しく、私たちが新規で作ったものもあります。

また、例え受け継いだ型でも使って行けば擦り減っていくので新たに作り直さなければなりません。
現在の尾崎人形は、関わる人の多くが高齢の方なんですよね。なので型の製作は3Dプリンターを使ってみるのも有効なのではないかと考えているんです。データに残せれば、未来につながっていきますからね。

城島さん、高柳さん

それに加えて、尾崎人形を途絶えさせない仕組みを作っていきたいんです。
昭和中期まで、尾崎焼は職人が多く存在しており、尾崎焼も多く生産されていました。しかしその後は担い手がいなくなってしまい、以来、有志の方が力を合わせてなんとか伝統を繋いできたんです。
こうした不安定な状況ではいずれ、尾崎人形の文化がなくなってしまいます。

地域と方々と協力しながら、なんとか健全な形で生計が立てられるような仕組みを作っていく。 そうすることで、初めて本当の意味での承継ができるのだと思っています。
地域の方々を巻き込んだり、お祭りに参加したりして、尾崎人形の文化を未来に繋いでいきたいですね。」

今後は、以前の主流だった窯焼きを復活させたり、祭りと連動した尾崎人形を作っていったりしていきたいと話す城島さん。 尾崎人形、そして文化の承継にかける熱意だけでなく体制作りも進められており、とても参考になるお話を伺えました。

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