ちょこんとした佇まいでまるっとした目が特徴の、紅白の獅子。その雰囲気は、まるで小さな子どもが一生懸命着ぐるみを着たかのよう。
思わず「かわいい!」と口に出てしまう見た目でありながらも、それぞれの口はしっかりと「阿」(あ)「吽」(うん)の形に開かれています。
この郷土玩具・福獅子をつくっているのは、大分県別府市の豊泉堂を営む、宮脇さん。福獅子は大分県の郷土玩具ですが、宮脇さんはもともと愛知県のご出身だといいます。
「僕は若い頃から、ビートルズやローリングストーンズといったロックバンドが好きでね。私も彼らのような、自分だけのスタイルを持って、何かを創作する仕事に就きたかったんです。
けれどゼロから何かをつくる才能には恵まれず……。でもなんとか、そういった業界に携わっていたかったんですよね。そうして、創作物をお客様に届ける百貨店に勤めることにしたんです。」
20代前半は百貨店で販売員として働いていた宮脇さん。転機が訪れたのは、20代半ばのころのことです。
「別府のお宅へ嫁いだ姉が『遊びにこい』と声をかけてくれ、はじめてこの地を訪れました。最初は旅行だけの予定だったのですが、なんだか生活がしやすくて、移住することにしたんです。
そうして『何か働き口を』と、姉のご主人から、当時ありとあらゆるものを扱うお土産屋さんだった豊泉堂とその先代を紹介いただきました。」
豊泉堂の先代店主の下でアルバイトを始められた宮脇さんは、幅広く仕事をこなすなか、のちの生活に影響を与える出会いを果たします。
「当時、豊泉堂で扱っている商品の中に博多人形がありましてね。僕は問屋の人間として、職人さんのところへ商品を受け取りに行っていたんです。
で、職人さんの仕事を見ていると、なんだか自分にもできそうで。思わず『僕にもできそうですね』と口に出してしまったんです。今思うととんでもないですよね(笑)
職人さんは怒りつつも、作り方を教えてくれて。見様見真似だったんですが、上手くできてねぇ。『うまいけど、売り物にはならない』と職人さんには言われましたが、僕にとっては、人形を作っていた時間は、好きな音楽を聴きながら作業に集中できる、天国みたいな時間だったんです。」
「この感覚で仕事をしていきたい。」そう考えた宮脇さんは、職人さんにお願いをし、一ヶ月ほどかけ、土人形の焼き方を教わったと言います。
「姉がいたから別府に来て、豊泉堂の先代とも出会えたし、だからこそ職人さんとも出会えた。郷土玩具は別名で縁起物なんて言いますけど、まさに僕の人生は、“縁”で繋がっているんです。」
福獅子との出会いは地元の図書館だったと宮脇さんは話してくれました。
「大分で活動するからには、地元に根付いたモノを作りたいと思ったんです。そうして図書館などで調べていくうちに、かつてこの地域で親しまれていた、福獅子という郷土玩具に出会いました。」
文献での調査だけでなく、現物を所有されている方にお願いし、かつての福獅子を見せていただいたこともあったといいます。
かつての福獅子は木製で、カクカクとした力のありそうなデザイン。宮脇さんはそのかつての姿をモチーフにし、現在まで続く、土人形・福獅子をはじめました。
「僕ができたのは土人形だったから、木製のものを参考に、自分のなかの“福獅子”をつくっていったんです。」例え話になりますが……と前置きし、宮脇さんはご自身の価値観を話してくれました。
「僕は音楽が好きだとお伝えしましたが、一番好きなのはローリングストーンズなんですよね。彼らは60年、音楽を続け同じ曲を演奏し、人々を魅了しています。 それはなぜなのか?
僕はその問いについて、彼らがずっと自分たちの可能性を追求しているからではないのか?と考えているんです。
『まだうまくできるんじゃないのか?』『新しい可能性があるんじゃないのか?』彼らはきっと、ずっとそう考えているから、同じ曲でも古くならないんだと思うんです。
葛飾北斎も同じですね。彼は亡くなる直前でも『あと、5年ほどしたら本物の絵師になれる』と話していたといいます。
僕もそうなんです。
僕はゼロから何かを作ることは苦手でしたが、作りたいもののイメージはずっと頭の中にあるんです。それをどうにか形にしたい。
『さらにかわいく』『もっと愛される人形に』
そんな想いを持っているからこそ、40年間も福獅子と一緒に歩んで来れているんです。」
「福獅子たちは僕の子どもなんですよ。」と宮脇さん。
「“商品を作ってる”っていうイメージはまったくないんですよね。
粘土をこねて、形を整えて、色をつけて。僕の中では、粘土を通して、僕のところへやってくるというイメージなんです。 僕のもとで立派になったら『かわいいね』って言ってもらえる人のもとへ旅立っていく。
絵付けで握りしめたときに感じる丸み、色を塗って、最後に目をつけて……。その間はずっと『いい人のところに行くんだぞ』と思っています。 そうやっていると、彼らは僕に『ありがとう』と言って、微笑んでくれるんですよ。」
色をつける宮脇さんの手にはきっと、親が子を思うような愛情がこもっているのでしょう。宮脇さんはまさに福獅子のお父さん、というわけです。
粘土をこねる作業から始まり、色付けが終わるまで約40日間、そしてこれまでの40年間。宮脇さんは何を思っているのか?と伺うと
「“商品”って考えて『一個何円』とやっていたら続かないですよ(笑)あの子たちは僕の子どもなんですから」と、話してくれました。
近年は雑誌への掲載を機に、若い人からの問い合わせが増えているという、福獅子。しかし、最初は全く売れない時期が続いたのだといいます。
「それでもたまたま湯布院の旅館が僕の福獅子をお土産として置いてくださったり、手伝ってくれる方が現れたりで、どうにかここまでやってくることができました。 別府に移住したときの話もそうですが、僕の人生は本当に縁に恵まれているんです。
僕ももう70歳。歳をとりましたが、これまでの縁に報いられるよう、これからもたくさんの人に愛される人形を作っていけたらと思っています。」
「自分にはアーティストの才能がなかったんだけどね」と話す宮脇さん。しかし語っていただけた、美しさと思いやり、そして創作への熱意に溢れた価値観は、アートそのものでした。