ブーヤレ(牛鬼の張子)

3,900円 (税込)

宇和島の牛鬼「ブーヤレ」(張子)は魔除け、商売繁盛、健康成就の意味が込められた伝統的な郷土玩具です。「よしを民芸店」が数量限定で製作している入手困難な1品です。

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魔除け、商売繁盛、健康成就の意味を込めた郷土玩具の「牛鬼」

愛媛県の南予地方に広く伝わる「牛鬼」。
この「牛鬼」を使った祭りの起源には諸説あるようですが、約200年もの歴史があり、時代とともにスタイルが変わりつつも、代々受け継がれてきた由緒あるお祭りです。
胴体は竹でできた約5〜6メートルの牛の形を模しており、長い首と威圧的な鬼の面、尻尾には剣を模したものがついています。全身はシュロの毛や赤い布で覆われ、力強く歩みを進めるそうです。この「牛鬼」が魔除けや商売繁盛、健康成就の意味が込められた伝統的な郷土玩具となっています。

「よしを民芸店」宇都宮よしをさん

「よしを民芸店」の宇都宮よしをさんは、牛鬼まつりの主役である牛鬼の顔の張り子を一手に手がけています。宇和島牛鬼張り子の唯一の「えひめ伝統工芸士」である彼は、各地で牛鬼の補修や新調の依頼を受け、その技術と経験を活かしています。宇都宮さんの父が戦後まもなく創業して以来、彼らは牛鬼まつりの継続に貢献してきました。

郷土玩具「ブーヤレ」以外にも牛鬼まつりから着想を得た郷土玩具を製作してきたそうでが、当時の子どもたちがおもちゃとして親しむくらい、この地域では「うわじま牛鬼まつり」が大きな影響を持っていたようです。



うわじま牛鬼まつり

毎年7月22〜24日に開催される「和霊大祭(われいたいさい)・うわじま牛鬼まつり」は、見ごたえ十分の幻想的な夏の祭りです。うわじまガイヤカーニバル、ブラスバンド/鼓隊パレード・子ども牛鬼パレード、宇和島おどり大会、海上花火大会、親牛鬼パレードが同時に開催され、牛鬼の練り歩きや踊りなどで、宇和島は祭り一色に染まります。

『枕草子』には「名おそろしきもの——牛鬼」と記され、近隣の村にはほら貝を鳴らすような声をあげて走り回る牛鬼を山伏が退治した説話もあります。

一番の見どころは最終日の夜に行われる「和霊大祭 走り込み」。たいまつに照らされた川面で繰り広げられる勇壮かつ幻想的な祭り絵巻です。

牛鬼はうわじま牛鬼まつりの花形で、数十人の若者に担ぎあげられ、子どもたちが吹き鳴らすブーブーという「ブーヤレ」(竹ぼら)の音を従えて、長い首を打ち振りながら練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いをします。


写真提供(うわじま牛鬼まつり実行委員会様より)

牛鬼の歴史

頼山陽(らいさんよう)著「日本外史」によると、「豊臣秀吉が加藤清正に朝鮮出兵を命じた文禄の役(1592年)に武将加藤清正が韓国の慶尚道・晋州にある、晋州城を攻めるときに、亀甲車を造って城の上から射おろす矢や、投げつける石を防いだのが始まり」と言われている。亀甲車とは、堅板で箱の形を作り、それを牛革で包んで、牛の生首を棒に刺しその先に掲げ、中に兵士が入って攻め戦ったものと言い伝えられている。

1593年6月に、それぞれの大将は、兵を合わせ、晋州城をとり囲んだ。加藤清正の兵士は城の周囲を埋めつくし、竹で作った楯をかざして応戦したが、城の上から射おろされる矢や、投げつけられる石は、雨が降り注ぐようであった。清正は、そこで、亀甲車というものを造り、その車に兵士を乗せて、城の下にせまり城の根元に穴を掘った。すると、城の高殿(こうでん)や、物見やぐらが崩れ落ちた。清正は、黒田長政とともに城に攻め入り、各大将もこれに続いた。城の守将(しゅしょう)・徐禮元(じょれいげん)、金千鎰(きんせんいつ)の両将軍と激しく交戦し城を陥落した。

この武勇伝を、藤堂高虎が宇和島に伝えた。その後、1840年頃に、宮の下村(現北宇和郡三間町)または、成妙村の庄屋備忘録(庄屋文書)に牛鬼のことが触れられていた。この朝鮮出兵の際に使われた亀甲車の話が、宇和島やその周辺に、牛鬼というものが出来た起源であろうといわれている。

牛鬼は愛媛県の南予地方に広く分布しており、それが、すべて藤堂高虎によって伝えられたのか、藤堂高虎の話が少しずつ分布し、各地でその武勇をたたえ広まったのかは定かではない。ちなみに宇和島の牛鬼の歴史はおよそ200年と言われている。

現在の宇和島の牛鬼のように、胴体に赤い布(きれ)をかぶせる様になったのは、昭和の初めからだと言われている。 (宇和島市観光物産協会のHP記事より抜粋)


郷土玩具「ブーヤレ」をつくる

伝統的な玩具であるブーヤレは、その堂々とした外見に反して、内部は実は空洞で、手に持つと驚くほど軽いのです。具体的な製作工程について、ダルマを例にして聞いてみました。

まず和紙を糊で荒張りする作業からスタートします。粘土でできた型に和紙を貼り付け、形が整ったら一度乾燥させ、その後切り込みを入れて型を取り出します。この段階が「お産」と呼ばれているそうです。切り込みを接着した後、形を微調整し整え、再び乾燥させます。その後、釉薬を塗り、乾燥させ、着色、乾燥、最後にラッカーを塗布して完成です。とにかく、乾燥には時間がかかるため、一つの作品が完成するまでには2週間以上かかるとのことでした。

使用される和紙は、愛媛県野村町の泉貨紙(せんかし)。泉貨紙にはさまざまな種類があり、制作物によって使い分けられているそうです。最高級のものは1枚200円ほどするそうですが、張り子にはちぎって使用されるため、不良な和紙も手頃な価格で手に入るそうです。また、牛鬼の角や髪には藁や馬の毛が使われ、自然素材が特徴です。創業当初から身の回りにある素材を使用しており、その製法が希少価値として再評価されるようになりました。

宇都宮さんは、張り子作りを始めて50年以上になります。小学校4年生の頃から家業として手伝っていたため、製作方法を覚えることができたそうです。1960年代までは製作したものがすぐに売れたとのことで、その頃は職人が5人ほどいたとのこと。人気が衰えていった時期もありましたが、数年前にBRUTUS誌で紹介されたことから注目を集め、全国からブーヤレ、ダルマ、鹿面など注文が殺到するようになったそうです。

「今は亡き父が昔に制作した祭りで使用される牛鬼は、今でも多くの地域で修理されながら大切に使われている。修理の注文が入ると、昔の思い出が蘇る。半世紀が経過しても父親には及ばないが、今後も自然体で仕事を続けていきたい」と話していらっしゃいました。

商品仕様等

商品名 ブーヤレ(牛鬼の張子)
大きさ 商品はすべて職人の手作りのため、描彩や大きさ、形状が若干異なる場合がございます。
形状 サイズ: W 11.5cm × D 6cm × H 9cm
商品仕様について 張子(和紙)、竹
使用上の注意 牛鬼が箱に隙間なく入っているため、角が折れないよう慎重に取り出してください。
配送スケジュール 到着まで3〜5日かかる商品です。
配送について オマツリジャパンからの発送商品です。
送料について 表示価格は送料込み価格です。

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