祭りの人形を手掛ける「筑前津屋崎人形巧房」ならではの表情 山笠ごん太
福岡県福津市で「九州の鎌倉」とも呼ばれる津屋崎地域。この地で古くから親しまれる郷土玩具・津屋崎人形の中でも、代表的かつ人気の人形「ごん太」を、今回は特別に山笠バージョンで仕入れさせていただきました。
明治時代にはおしゃぶり人形であったという「ごん太」。鉢巻をまいて、水法被を着用したごん太は、まるで祭りに参加している男衆のように勇敢で、どこか楽しそうな表情に見えます。
毎年7月に開催されるお祭り「津屋崎祇園山笠」は年に1回の開催ですが、山笠ごん太がご自宅にいると、いつでもお祭りのことを思い出してわくわくしてしまいそう。岡流(赤色)と新町流(黄色)、あなたはどちらの「ごん太」がお好きですか?
なお、2023年の津屋崎祇園山笠は、9日(日)お宮入り、15日(土)裸参り、16日(日)追山の開催予定です。 <
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※現在はおしゃぶりとしては使用できませんのでご注意ください。
商品バイヤーのおすすめポイント
この、何ともいえない表情が癖になる「ごん太」ですが、ごん太ファンにはたまらない祭りバージョンです。地元が津屋崎の方や、今年は祭りに参加できないという方などにぜひお買い求めいただきたいですね。(バイヤー中西)
“らしさ”を見つけ、仲間たちを繋ぐ存在に 津屋崎人形師・原田翔平さんの挑戦
津屋崎人形とは、約250年前に生活雑器とともに始まった福岡県福津市津屋崎の郷土玩具です。博多と北九州の間に位置することから、二枚の型を使い素朴な形を作り上げる“古博多人形”の影響が見られます。鮮やかな色彩も特徴的で、子どもの健やかな健康を願う縁起物として親しまれてきました。また高齢の方の食の通りを良くする縁起物としても用いられていたと言います。人々の生活に寄り添う、津屋崎人形を制作されているのは、筑前津屋崎人形巧房の人形師の方々。今回は7代目の当主・原田誠さんの息子さんである原田翔平さんに、津屋崎人形についてお話を伺いました。
約250年の歴史 子どもの健やかな健康を願う津屋崎人形
福岡県福津市津屋崎の郷土玩具である津屋崎人形。「津屋崎人形の始まりは約250年前に遡ると言われています。この地域ではかつて良質な土が取れたため、生活雑器と共に作られていたんです。この津屋崎の地域は博多と北九州の間に位置しており、津屋崎人形には博多方面で親しまれていた古博多人形の特徴が見て取れます。」
そう話すのは筑前津屋崎人形巧房の人形師である、原田翔平さん。原田さんは、7代目の当主・原田誠さんの息子さんであり、一度公務員として就職し社会を経験したのち、2016年から津屋崎人形の人形師として活動しています。
津屋崎人形に影響を与えているという古博多人形。博多には、パーツごとに型を使い組み上げ実物の等身に近い“博多人形”と、二枚の型のみを使い素朴な丸みを生み出す“古博多人形”があり、後者の丸みを帯びた形状は津屋崎人形にも通じているというのです。
「津屋崎人形は粘土を型に詰め、たい焼きのように合わせて形を作っていきます。その後合わせ目を削り、乾燥、焼成し、彩色を施すことで形になるのです。色合いもまた津屋崎人形の特徴の一つで、江戸時代当時の生活において特別感があり、縁起いとされた原色を使っています。」
津屋崎人形に込められた想いは、子どもの健やかな健康。代表的な人形であるフクロウをモチーフとした土笛“モマ笛”は、フクロウの首が良く回ることから「お金に困らないように」、またフクロウが「未来を見通す動物」と言われていることから「生活が上手くいくように」といった願いが込められています。
また、土笛自体には「子どもの体調を脅かす疳(かん)の虫を退散させる」効果があると信じられており、さらにお年寄りが食事の前に笛を吹くことで「食事が喉に詰まらないようになる」といった効果もあるとされていました。
「先日、ある福祉施設の方とお話しする機会があったのですが、実際に施設の取り組みでお年寄りに食事をしていただく前に笛を吹いてもらう時間があるという話を聞きました。どうやら笛を吹くことで喉が鍛えられるそうなんです。縁起が良いというわけではなく、実際の効能もあったというわけなんですね。
また今回取り扱っていただく“ごん太”という、津屋崎人形を代表とする人形がありますが、こちらは過去に子どものおしゃぶりとして利用されていました。津屋崎人形はそうやって津屋崎の人々の生活に寄り添うことで、250年もの歴史を重ねてこられたのだと思います。」
外から刺激を受け、承継を決意
「元々は家業を継ごうとは思っていなかった」と話す原田さん。社会人となった当初は公務員として働いていました。当時の心境をこう振り返ります。「人形を売って生活をしていくなんて正直無理だと思っていたんです。父は人形を作って売っていましたが、母も働いていましたし、その状況で僕も家業をすることは考えられませんでした。現実的に考えた際、どこかに就職してしっかりとした収入を得ることが重要だったんです。」
そうした状況が変わったのは、原田さんが家業を継ぐ一年前。2015年のことでした。津屋崎人形がある助成金の対象となり、一線で活動するデザイナーさんと組んで商品開発、販路拡大などを行なっていくこととなったのです。
「デザイナーさんとの打ち合わせの中で、さまざまなことが整理され『これなら仕事を継いでも生活が成り立つのではないか?』と思いました。」と原田さん。デザイナーさんとの打ち合わせで最も大きな衝撃だったのは、価格の考え方だったと言います。当時の津屋崎人形の価格はほとんど変わらずに維持されていました。しかしその間、社会情勢は大きく変わり物価も変化。その結果、現代において原材料費と売価のバランスが悪化してしまったのです。
「家族間でもその問題について議論が交わされてきましたが、一般のお客さんがどう思うか結論が出ず……。 そういった状況でデザイナーさんから『これではダメです。売価を上げましょう。』といっていただけたことは、ハッとさせられる出来事でしたね。」
デザイナーさんとの取り組みではその後、津屋崎人形の技術を使った“津屋崎ピンズ”を企画し、販売、大成功を収めました。(”ピンズ”とは、アクセサリーやお守りとして身につけるもの)「素朴な形や色合いといった津屋崎人形らしさを活かして作られた津屋崎ピンズ。最終的な形は人形と大きく異なりますが、やっている作業はほとんど変わりません。今まで培ってきた技術をどう活かすのかを考えるのが大切なんだと学びましたね。
250年の歴史、7代の歴史を持つ津屋崎人形。人形の型は1000種類にも及びます。けれどその歴史に捉われる必要はまったくないんだと、企画を通して実感しました。」その出来事の後、原田さんが承継を決意した決定的な出来事が起こります。「家の手伝いで、東京での展示会のスタッフをしていた時のことです。あるお客さんがうちのモマ笛を見て『このモマ笛、うちにあるんです。食卓に飾っていて、家族のように一緒に暮らしています。』と言ってくれました。 その言葉を聞いたときに『うちの仕事、良いな』と感じたんです。この世界に仕事はたくさんありますが、そのお客さんが言ってくださったような幸せを作り出せる仕事はそうありません。生活の目処も立っていましたし、家業承継のチャレンジをする価値を感じました。」
微妙な表情の違い 手作業の魅力
承継を決意してからお父様に弟子入りし、津屋崎人形に関する様々な事柄を学んでいった原田さん。もっとも大切だと感じたのは、最終工程の面相だと言います。 「人形に顔を書き込む工程は本当に細かい作業で、ほんの少しの違いが大きな印象の違いを生んでしまいます。少し口角が上がっただけで悪そうに見えてしまったり、眉毛が揃っていないだけで情けなさそうに見えたり……。その表情に魅力を感じてくださる方もいますが、最低限のラインで印象を揃える必要があります。」その上で出てくる人形一体一体の表情の微妙な違い。「それこそが手作業の魅力だ」と原田さんは話します。
「大手の通販にはできない個性を楽しむという体験こそ、私たち津屋崎人形のような手作業の価値だと思うんです。なので私たちはできるだけ通販での展開をしておらず、店舗で品物をじっくり選んでいただくことを大切にしています。きっと見る方の精神状態によって『良いな』と思う表情は変わってきます。買ってくださる人に寄り添った表情の人形に出会っていただけると良いなと思います。」
「新しいものを作りたい」 津屋崎人形のこれから
これからについて伺うと「新しいものを作っていきたい」と話す原田さん。「津屋崎人形に携わるようになって感じたのは、地域の名前の大きさでした。僕は地元で育ち今もこうして地元で働いていますが、友人たちの中にはこの地域を離れた人たちもいます。そういった地元を離れて行った方々に対して、津屋崎の地名が入っているこの津屋崎人形は、地元を懐かしんでもらうきっかけになるんです。
地元の名前を見るだけで嬉しくなったり、地元の空気を思い出したり……。離れていても仲間と繋がることができる。それが津屋崎人形の強みだと思っています。」
新たなものづくりやワークショップといった挑戦を通し、地元を離れた仲間たちに少しでも知ってもらえる機会を増やしていきたい、と語る原田さん。新たな取り組みを通して「津屋崎人形師としての“自分らしさ”を見つけ、自身の技術を高めてていきたい」と話してくれました。津屋崎人形を担う、新たな世代である原田さん。これからどんな経験をし、“らしさ”を見つけ、津屋崎人形に表現していくのか。今後の原田さんの活動に注目です。