子だるまをお腹に抱えた、山梨県の縁起物・親子だるまです。家内安全と子孫繁栄などの願いが込められています。
この商品は、お選び頂くラインナップによっては金額が変わります。
山梨県で百年以上も前から親しまれている、甲州親子だるま。大きな親だるまが、小さな子だるまを抱えているその形は全国的に珍しく、家内安全と子孫繁栄を祈る人々に永く愛され続けてきました。
甲州親子だるまのもう一つの特徴は、白い彩色。
山梨県においてかつて、経済の中心にあったのは養蚕と綿でした。このことからその年の生活は、それらの出来、不出来によって大きく左右されていたのです。
そうした背景から農民たちの間には、豊作を願って繭玉(まゆだま)の形や綿の花の色を模した「白だるま」を祀る風習が生まれました。
農家は、農作業の合間の副業としてだるまを作り、この地域で多くのだるまが流通することとなったのです。
彫りが深く、きりっとした顔つきの“甲州だるま”。眉毛と髭で亀と鶴を表現するのが特徴的です。その顔つきには、山梨の地で長く活躍した武田信玄の影響があるといわれています。
そしてこの甲州だるまをベースに、白く彩られ、親子でいるように作られているのが“甲州親子だるま”です。
白に込められているのは、山梨の地場産業・養蚕と綿への豊作の想いだといいます。ちょっと困ったような優しい表情の親だるまと、元気いっぱいの目をした子どもだるまは、見ているだけで和んでしまいます。
この甲州親子だるまをつくられているのは、民芸工房がくなんの斉藤岳南さん。お父様より、お店を継いだ二代目です。「継いだ当初は遊んでばかりだった」という岳南さん。
そんな彼の心が変わったのは、お父様からかけられたある言葉がキッカケだったといいます。岳南さんの心を変えたお父様の言葉とは?
岳南さんが大切にしていきたいと話す、お父様の想いとは?民芸工房がくなんという工房に流れる、こだわりについて迫っていきます。
「“民芸工房がくなん”の始まりにあるのは、父が戦争中に経験したある出来事がキッカケでした。」
そう話すのは、民芸工房がくなんの2代目・斉藤岳南さん。お父様である初代岳南さんよりその名と工房を引き継ぎました。
「父はもともと、芸術方面に興味があったと聞いています。その始まりは子どものころにあったそうです。
父とその両親———私からすれば祖父母ですが———は、川の近くに住んでいたと聞いています。ある日父が川へ遊びに行くと、一人の画家さんが絵をかいていました。
何が描いてあったのか、どんなタッチだったのか。詳細は伝わっていませんが、とにかく父はその絵に感動したようで。その画家さんから様々なことを学び、芸術への興味を深めていきました。」
お父様はその後、芸術への興味を持ちつつ大工へ丁稚奉公へ出ましたが、ほどなくして第2次世界大戦が勃発。
やがて徴兵されたお父様は、茨城県の霞ケ浦の部隊に入隊。そこで、郷土玩具やお祭りといった地域の文化にも興味を持つようになったと、岳南さんは話してくれました。
「南方作戦に参加した父は、立ち寄ったある島で生涯、印象に残っていたであろう光景を目にしました。
そこでは子どもたちが、その土地柄から発達したであろう素朴なおもちゃを手に、野原を駆け回っていたんです。おそらく日本でいう郷土玩具にあたるものでしょう。父はその光景に感動し、独自のコレクションを集めていきました。
しかし、あるとき搭乗していた船が撃沈されてしまい、父のコレクションは消失してしまいました。幸い父は無事だったものの腰を強く打ち、以来、そのケガに悩まされていましたね。」
茨城に戻り終戦後は、全国を回って郷土玩具を集めていたというお父様。
やがて昭和20年代になると、大工としての活動に力を入れるべく、現在も工房がある山梨県へと移住しました。お父様は大工として活動する傍ら郷土玩具職人を訪ねていったといいます。
そうして当時途絶えかけていた、甲州だるまの職人さんと出会ったのです。
大工だったお父様は、何度も職人さんのもとを訪ね、交流を深めていったといいます。職人さんから、紙の張り方や筆の使い方を学び、さらには大工の技術を用いて甲州だるまの木型を自作。こうしてお父様のだるまづくり職人としての歩みが始まったのです。
甲州だるま職人と大工の二足の草鞋を履いていたお父様は、やがて「だるま職人一本でいきたい」と、奥様に嘆願。無事に認めてもらい、甲州だるま専門の職人となりました。
「父の願いが受け入れてもらえた背景には、よくも悪くもこだわりすぎてしまう父の性格がありました。
父にとってお客さんからいただく費用というのは二の次で、とにかく『良い建築物を』だったんですね。利益が手元に残らないことはしょっちゅうで、母の稼ぎが、私たちの生活を支えていたんです。加えて戦時中に腰を痛めていたので身体のことも考え、母は『だるま職人一本で』という父の願いを受け入れたんです。」
そんな初代の父を持ち、現在2代目甲州だるま職人として活動する岳南さんですが「継ぎたいという想いがあったわけではなく、義務感に近かった。」と話します。
「だるま職人は手仕事に分類されるのですが、実は子どものころはあんまり興味がなく……。それでも家業ですから、母と一緒に配達のお手伝いをしていました。そのうち、山梨の観光が元気になってきましてね。父だけでは生産が追い付かなくなり、私もだるまづくりに関わるようになったんです。」
ですが、当時はまだ20代。「だるまづくりよりも、遊んでばっかりだった」と岳南さん。
「夜までに紙を貼るところまでやっておけば、朝には父が色付けをしてくれていたんです。なので、ある程度やったら、釣り竿を担いで山の中へ行き、釣りをしてました。
その後少しずつ、顔回りの色付けをするようになりましたが、顔だけは必ず父が担当していました。本格的にだるまづくりを担うようになったのは30代に入ったころくらいでしょうか。
『おい、明日からお前、顔を描け』と声をかけられたんです。『教えてもくれないのに顔を描けって言われたってできないよ』と言ったのですが、『いいからやれ』と押し切られて……。
とにかく見て、覚えろといった雰囲気でしたね。怒鳴られることはありませんでしたが、教えてくれることもほとんどありませんでした。
父の手を見て、筆の運びを見て、色の着いただるまを見て。並んで仕事をしながら、父の技術を覚えていきました。」
「父は、子どもやお年寄りにおもちゃを作る楽しさを教えるために、山梨県の観光キャラバン隊として活動していました。手取り足取り教えるようなことは一切しなかったのですが、現場主義に徹した偉大なものづくりの職人だったと思います。」
「現在、甲州親子だるまを作っているのはうちだけとなっています」と岳南さん。
「よほどのことがなければその状況が改善することもないと考えています。しかし甲州だるま職人の二代目として、そして何より父の子どもとして、彼の想いを継ぎ、甲州だるまの伝統を続けていきたいと思っています。ゆっくりになってしまっても、少しでも、甲州だるまを作り続けていきたいですね。」
息子さんと一緒にインタビューに対応してくださった岳南さん。インタビュー後はすぐに製作へ戻られており、お父様と同じ想いを引き継がれていることが伝わってきました。
商品名 | 甲州親子だるま |
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大きさ | 商品はすべて職人の手作りのため、描彩や大きさ、形状が写真と若干異なる場合がございます |
形状 | 大:幅・奥行 10/高さ 13 小:幅・奥行 7/高さ 10 |
商品仕様について | 素材:紙製張り子 |
おすすめ | ・かつて山梨県に住んでいた方 ・家族の安寧を祈願している方 ・大切な人への贈り物に縁起物を検討している方 |
配送スケジュール | 到着まで5〜7日かかる商品です。 |
配送について | 「民芸工房がくなん」からの発送商品です。 |
送料について | 表示価格は送料込み価格です。 |