伝統に込められた想いを伝えたい 柿沼人形の信念とは?
綺麗に着せられた着物と、細かな彩色が特徴の木目込み人形。見れば見るほど、職人の技術が、小さな体に凝縮されていることが伝わってきます。
今回お話を伺った柿沼人形さんは、雛人形製作会社の中でも異彩を放つ“コンパクトモダン”というコンセプトでブランドを展開されています。 ブランドコンセプト『コンパクトモダン』とは?歴史ある柿沼人形さんが、なぜ挑戦をするのか?
柿沼人形の専務・柿沼さんにお話を伺い、その信念に迫ります。
機械の入れない世界 柿沼人形の歴史
「もともと祖父である初代・柿沼東光の実家は木製品を扱う家だったと聞いています。戦前の話ですから、建材の扱いやタンスなども作っていたようです。
やがて祖父は第二次世界大戦が終わった後、戦地から戻り、人形作りを始めました。 当時は戦後直後で貧しかった時代。そんな環境で暮らしていく中でも「子どもたちにはすこやかに育ってほしい」という思いがあったんだと思います。」
そう話すのは、柿沼人形の現場責任者を務める、三代目の柿沼利光さん。柿沼さんは続けます。
「大手の修行先で経験を積んだ祖父はやがて独立。柿沼人形としての木目込み人形の製作を始めました。 柿沼人形の特徴は「動き」です。木目込み人形の造形は粘土で決まりますが、そこでいかに躍動感を表現していくか。それが木目込み人形のおもしろさでもあり、柿沼人形の代名詞でもあるんです。
また初代の時代から、独自のカラーといいましょうか、ふわっと優しい一般のイメージとは違った、個性的な配色を心掛けてきました。戦争での経験も影響したのか、強く海外を意識した結果だといいます。 なので配色だけでなく、例えば衣装に西洋の生地を取り入れたり、異国の意匠要素を落とし込んだりと、とにかく変化を模索し、72年間、歩みを続けて来たのが、私たち柿沼人形なんです。」
「先代である父もなんというか、こじゃれた格好を良くしています。」と笑う柿沼さん。
その先代の時代では、デザイナーと共に柿沼人形を作るという業界として意欲的な取り組みを始めたといいます。
その当時に作られた人形は、「20年以上前の作品でありながら現代でも受け入れられるほど洗練されたデザインとなっている」と、柿沼さん。 「例えば、冠というのは普通は黒いんですけど、それを茶色にしてみたりとか、髪形を三つ編みにしてみたり、意欲的過ぎて当時は調子は良くなかったんですが(笑)」
そういった姿勢について、柿沼さんは「戦後から急速に進んでいった生活の変化があるのではないか」と話してくれました。
「戦後急速に核家族化が進み、数十年前からは少子化問題が叫ばれるようになってきました。そうしたなかで節句行事を行う風習からも人々が離れてくようになっていったんです。それに対する危機感があったんでしょうね。」
間近で見て感じた職人の技術
柿沼人形は、粘土による原型づくりに一か月、さらに着付けをするのに一か月と、一体を作るのに約二か月かかるといいます。
「木目込み人形は、ボディの筋や布の入れ込み具合、お顔にあっては、墨のかすれ具合などに職人ならではの勘が必要で、なかなか機械が入り込めない作業なんですよね。」
子どものころから家が工房で木目込み人形に親しみがあり、モノ作りも好きだったという柿沼さん。にかわで溶いた胡粉、硫黄のにおいは今でもよく覚えていると話してくれました。
人形作りに携わるようになったのは高校生の頃だったといいます。
「学生の頃はアルバイトで少し手伝っていましてね。実際作業してみると職人さんの技術には驚かされました。
例えば、ボディが欠損してしまったとき。パテのようなもので埋めていくのですが『綺麗に埋められた』と思っても、素材からくる乾燥率の違いからそこだけへこんでしまうことが良くありました。熟練した職人さんたちはそれを上手く計算して一発で成功させていて……。技術の高さに感動しましたね。」
大学で土木工学を学んでから公務員として働き始めた柿沼さん。人手不足や工房の責任者が高齢となった状況に鑑みて、家業を継ぐ決心をしたといいます。
「何ができるかはわかりませんでしたし、難しいことは考えていませんでしたが、とにかく頑張ってみようという気持ちを持っていました。」と当時を振り返ってくれました。
作業していくことで、職人たちが持つある特徴にも気が付いたといいます。
「人形作りは、ボディを作る人はボディを、顔を描く人は顔を描く人と、分業で進んでいくのですが、そうして出来上がったものは職人の心を映すんですよね。
例えば、元気な人が顔を描けば、自然と元気な顔つきになっていきますし、何か哀しい出来事があった人が描くとどうしても哀しい顔になってしまうんです。モノづくりっていうのは職人の心境を拾ってくるんだなと感じました。」
現代にあった人形を コンパクトモダンの誕生
やがて工房の責任者の任についた柿沼さん。
そうして2015年に“コンパクトモダン”というブランドコンセプトを打ち出したのです。
「もともとお客様からは『小さなひな人形を』というご要望をいただいていたので、小さなひな人形づくりには取り組んでいました。 しかしその人形というのは本当に元のひな人形を小さくしたもので、作業工程自体は変わっている点はないのですが、一般的なイメージから価格を落とさざるを得なかったんです。
ですがデザイナーさんとの出会いを通じて、『小さくてもプレミアムなものを』という発想が生まれたんです。同時に現代の住居において人形を置ける場所の狭さも改めて痛感し、コンパクトモダンな柿沼人形が生まれることとなりました。」
コンパクトモダンはパリの展示会で発表され、まずまずの評価を得られたといいます。しかし国内では、先進的な取組が裏目に出てしまい、忍耐の日々が続きました。
「お客様からのニーズは確かにあるのですが、人形を扱うお店はまだまだ『大きいものを売ってこそ』という感覚が強く、なかなか扱っていただけなかったんです。 転機となったのはコンパクトモダンシリーズの第4弾・秋田杉を使った宝想雛・宝輝をリリースしたときでした。」
素材となる秋田杉は、樹齢120年〜130年ほどのものに限定して使用。職人の手で、きれいな節目が出るように加工していった商品でした。
「製造までには、例えば木が欠損してしまったり、塗装が微妙に違ってしまっていたりなど、数多くの苦労がありました。けれど第4弾ということもあり、関わる全員が心を一つにして取り組めたのが良かったですね。」
そうして出来上がったコンパクトモダンシリーズの第4弾は、自社のECサイトを通してストーリーを発信。多くのお客様に受け入れていただける商品となったのです。
親子の愛をこれからも 柿沼人形を通して成し遂げたいこと
これまでの歩みを振り返りながら、柿沼さんは柿沼人形の信念を話してくれました。
「先ほどもありましたが、初代が活動した戦後すぐの時代は、お子さんが幼くして亡くなってしまうことも珍しくなかったということもあって、節句行事はとても大切にされていました。
現代では生活環境の改善や医療の発達によってそういった哀しい出来事は少なくなっています。ですがそういった中でも、私たちとしては、子の成長を願う大人たちの気持ち——— きっとそれは『愛』なのでしょうが———を大切にしていきたいんです。 連綿と続いてきたその伝統をこれからにもつないでいければと思っています。」
近年はコロナ禍の回復もあり、国内外の展示会やInstagramでのやり取りなどで英語を使う機会が増えてきているといいます。
「今の目標は海外での木目込み人形の認知を拡大して、アニメ・マンガに続く、日本の代名詞とすることです。そうして日本での活動にも良い影響を与えていければと思っています。」
「まさか海外に行って、英語を話しながら仕事するなんて思わなかった」と話す柿沼さん。一族に流れる柿沼人形への熱い想いが伝わってくるインタビューでした。 これからの時代の波を捉えた柿沼人形の挑戦に、期待が高まります。