三重県で親しまれてきた郷土玩具。弾き猿には、親子で一緒に遊ぶ「玩具」であり、厄を払う「お守り」としての役割があります。 郷土玩具で遊ぶ子供の姿を見ながら、親は子供の無病息災や厄除けを願います。 親子で共有する温かな一瞬の時の中に、多度の弾き猿の魅力が宿っています。
「弾き猿」の起源は江戸時代までさかのぼり、その源流は幟猿(のぼりざる)という風習にありました。幟猿は、端午の節句に鯉のぼりと一緒に展示され、風に吹かれると竿を登る仕掛け人形として知られていました。この猿の仕掛けは、子供たちの健やかな成長や無病息災を祈る象徴として親しまれていました。時が経つにつれ、江戸時代中期以降、幟猿は屋外から室内の装飾へと変化し、やがて幟猿の風習が徐々に廃れていきました。その代わりに、弾き猿の玩具が形を成し、発展していったのです。
「弾き猿」は竹製の棒に「くくり猿」と竹製のバネが通してあり、棒の先端には紙張りの太鼓が取り付けられています。このバネをはじいて猿を昇り降りさせて遊びます。猿が先端まで昇りきれば、猿が太鼓に当たり音が鳴ります。この太鼓は「流鏑馬的射(やぶさめまとい)太鼓」とも呼ばれ、多度大社(三重県桑名市多度町の神社)で行われる多度祭の「上げ馬神事」の流鏑馬(やぶさめ)の矢の的になぞらえて、中央に黒丸が墨書きされています。(ちなみに、この多度祭は、三重県の無形民俗文化財で、毎年5月4日、5日に行われる多度大社の神事です。 毎年、十数万人の参詣者が訪れ、にぎやかに行われています。高さ約2mの土壁を騎手が乗った馬が駆け上がる「上げ馬神事」は、南北朝時代から始まったと言われています。)
神社前 宮川屋は、創業から約400年の歴史を持ち、三重県桑名市北部の多度大社門前で、主に八壺豆(多度豆)を扱っています。また、三重県指定の伝統工芸品である「弾き猿」も、多度大社門前の土産物として手作りで販売されています。
「弾き猿」の製作は、毎年10月ごろから正月に向けて始まります。最初に、山に入り、乾燥させた真竹を切り出します。直径約10センチの竹を2、3本用意し、それを各部分に分割します。竹の棒は全長約60センチで、バネとなる部分は2ミリの厚さに削られ、熱湯で曲げて割れないように仕上げます。この工程が最も難しいと言われています。
猿の形を作るために、赤い絹の布で胴体を縫い、綿を詰めます。頭は、乾燥させた大豆を半分に割って使います。これらを高さ3センチ、直径1.5センチの女子(おなご)竹に取り付け、竹の棒に通します。他の地域では、頭部は黒い布で作成することが一般的ですが、多度では名物菓子である「八壺(やつぼ)豆」の製造過程で余った大豆を使用する独自のやり方となっています。的の部分は、以前は竹や経木を丸く削ったわっぱに和紙を貼り付けていましたが、現在は塩化ビニールのパイプを切って胴体として使用されています。
年に約200本の「弾き猿」が作られ、そのうちの約半数は正月の初詣の時期に販売されるとのことです。残りの部分は、全国の郷土玩具コレクターによって購入されることが多いそうです。過去には特別注文として、1.4メートルの特大サイズのものも制作したことがあり、これらは縁起物として店舗などに展示されたそうです。
商品名 | 多度の弾き猿 |
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大きさ | 商品はすべて職人の手作りのため、描彩や大きさ、形状が写真と若干異なる場合がございます |
形状 | 縦 約60cm × 横 約9cm |
商品仕様について | 素材:木製、和紙 |
おすすめ | 厄を払う「お守り」として |
配送スケジュール | 到着まで5日〜7日かかる商品です |
配送について | オマツリジャパンからの発送商品です |
送料について | 表示価格は送料込み価格です |