加賀獅子(かがじし)とは?
加賀獅子(かがじし)は、石川県加賀地方に伝わる伝統芸能です。
金沢市をはじめ石川県加賀地方の多くの獅子舞は加賀獅子と呼ばれています。地域の風土や受け継がれた流派などの違いから、細部においてそれぞれ異なりますが、いずれも棒、刀、薙刀、鎖鎌等の武器を手にした「棒振り(ぼうふり)」が、大きな胴体と頭を持つ獅子を退治をするという、いわば勇壮な「殺し獅子」が特徴となっています。
加賀獅子は天正11年藩祖前田利家公が金沢城に入府の際、御前に獅子舞を演じて祝ったのが由縁となり、代々の藩主の奨励と町人文化の発展に影響され、その豪華さは天下隋一となりました。それから祭礼などで、各町村が競って獅子舞を演ずる風習は、加賀名物の代表と言われています。
加賀獅子の特異な威容は男子出産の場合には魔よけ、厄払いとして古くから用いられています。その他、還暦や賀のお祝いにも適しています。また創口中に刀を納め安泰の世を表しているため、 創立
郷土玩具・伝統工芸の本質とは 中島めんや・中島さんの信念
石川県金沢で活動し、米食いねずみや加賀八幡起上りなどの郷土玩具を扱っている中島めんやさん。店主を務めるのは7代目の中島祥博さんです。
中島さんは郷土玩具・伝統工芸品を取り扱いつつ、お店でワークショップを開催するといった多くの方に金沢の伝統文化により親しんでもらうための挑戦を日々行っています。 お話を伺っていくと、その挑戦を続ける中島さんの芯にあるのは、郷土玩具・伝統工芸の業界に対する大きな想いがありました。
中島さんの考える郷土玩具・伝統工芸の本質とは?その想いに至った経緯とは?中島さんの考えに迫ります。
創業は江戸時代 中島めんやの歴史
「うちの『めんや』というのは、お面屋さんという意味なんです。 創業は文久2年・1862年。ちょうど幕末が終わり明治になるころですね。村で行われる小芝居のお面づくりや小道具づくりを主業としていたため『めんや』という名前なんです。」
と話す、中島さん。
創業後は良質な和紙を求めて拠点を変えたり、加賀八幡起上りなどの伝統玩具を扱ったりしながら、現在まで続いているのだといいます。
「160年間のなかで取り扱う商品も変化していきましたが、現在は職人さんたちの作る郷土玩具を主に扱っています。 私が子どもだった50年前は、京都から伝統を受け継いだ金沢という土地柄、起上りなどの郷土玩具を扱うお店が多くありました。 ですが時代が経つにつれ、そういったお店は減少し、現在、起上りを取り扱っているのはうちだけになっているんです。」
起上りは、金沢の家に必ず一個はあるといってもいい、金沢を代表する郷土玩具です。
北陸新幹線が開通してからは、取り上げられる機会が増え、人気が加速。生産が追い付かなくなる時期もあったといいます。
郷土玩具・伝統工芸の本質 中島さんがつたえていきたいもの
新幹線開通前からコト消費のトレンドを察知し、体験などのワークショップを開催するようになったといます。 コロナ禍では感染対策の観点でお店を締めたものの、情報収集は続けていたという中島さん。 「お店を継いで、感じるようになったのは『伝統工芸はずっと繋がってきた大切な技術だ』ということです。
生まれた時からお店があったため、私にとって郷土玩具や伝統工芸品はとても身近なものでした。しかし、お店を継いで様々な分野の方々とお話をしていくうちに『この職人さんたちの技術を伝えていきたい』と考えるようになりました。
同時に私たちはお店として『現代の人に好まれるアイデアを職人さんに伝える必要がある』とも感じたんです。
郷土玩具や伝統工芸の本質は技術にあります。
であるならば、それ以外の部分は変わってもいいと考えましたし、そうしなければ業界として生き残っていけないと思いました。
職人さんたちの仕事は技術を発揮して、モノを作ることです。
ならば私たちは職人さんが思いっきり力を発揮できるよう、今求められているモノを伝えなければなりません。
そうして職人さんたちにアイデアを伝えるため、多種多様な情報収集をするようになったんです。」
現代に好まれる価値を 中島めんやのこれから
現在はお店のワークショップに加えて、小学校や公民館などでも郷土玩具を広める活動をしているという中島さん。
「現代で郷土玩具や伝統工芸品を受け入れてもらうためには、見た目や機能性だけでは足りないのではないかと考えています。 必要となってくるのは、そのモノの奥に秘められた歴史や作り手の想いだと思うんですよね。
ワークショップも同じで、体験して自分で作ったものがカワイイ、愛着がわく、というのもあるんですけど『こんなに手間がかかってるんだ』という秘められたエピソードを知っていただきたい、という想いもあるんです。
今、私たちの業界は高齢化が進んでいます。この状況で大切となってくるのは、売れること、儲かることよりも、伝統をつないでいくことなんだと思っています。
これからも色々な方と協力しながら、郷土玩具や伝統工芸の魅力を発信していきたいですね。」
中島さんの持つ業界全体への考えやこれからについて。そして何より、変わることへの意欲。 すべてがとても学びになるお話で、聞いている私たちの側が大きくうなづいてしまいました。 改めてオマツリジャパンとして、発信や挑戦を通し、お祭りや伝統文化を伝えていきたいと感じました。