観光客でにぎわう出雲大社からほど近くの、神迎え通りに面した店舗で「大社の祝凧」の製作を続け三代目となる高橋日出美さんにお話をうかがいました。
全国で唯一、「大社の祝凧」
かつて、出雲大社の千家・北島両国造家でお祝い事があると、氏子が稲佐の浜で「鶴」「亀」の字を描いた凧を揚げてお祝いをしました。その風習はなくなりましたが、初代好(こう)さんが小さな祝凧を装飾用に制作し、復活させました。
自宅玄関に飾られている、大きな「大社の祝凧」。
好きだから続けられる
「小さいときから祖父が作っとるのを見てきたし、根詰めとるのが好きなだけだけんね。やめたいと思ったことはないね。苦にならんね、座っとるのが。その分散歩もよくするわ。運動に松江まで歩いていったりもしたよ。(笑)」と、話す日出美さん。
日出美さんの祖父に当たる初代好さんは、祝凧を作る前は和傘を作っていたそうです。日出美さんは会社勤めをしながら、好さんの後を継いだ父親を手伝っていましたが、父親は日出美さんが42歳の時に亡くなり、その後祝凧の制作は日出美さん一人に託されました。 小さい時からずっと祖父の様子を見ていたので、やり方はよくわかっていたそうです。 「父の時と自分では個性が違うので、文字の跳ね、止めも違う。」と、日出美さん特有の祝凧を作っておられます。 「やっぱり祖父が作ったものだから今後も残していきたい。絶やさんようにやっとります。」
竹を求めて山へ
祝い凧を作るために、まず竹を採りに行きます。良い竹の見分け方は経験で身についていきます。 自ら山へ入り、適した竹を選んで持ち帰ります。昔は日御碕の真竹(まだけ)を使っていましたが、鹿がタケノコを食べて良いものがなくなってしまったそうです。
竹にも種類があり、大きな祝凧には節の長い竹が必要ですが、孟宗竹(もうそうたけ)は節の間が小さく使えません。現在は、人づてに紹介してもらった立久恵の真竹を使用しています。若い竹は強度が弱く、3年くらい経った竹でないと使えません。竹の皮の強さが全然違うそうです。「人の付き合いは大切だなあと感じます。」と高橋さんは話されました。
持ち帰った竹は割ってから乾燥させ、火で炙って加工します。竹を採ってきて、1月〜2月に処理をして、3月くらいから作業をするそうです。和紙や竹は天候によっても状態が変わります。
制作は子どものころから
高橋さんは「じょうき・鯛車」も制作され、祝凧同様、県のふるさと伝統工芸品の指定を受けておられます。「じょうき・鯛車」とは、それぞれの家庭で作られる、小さなコマがついた和紙貼りの舟型・鯛型など独自の舟のことです。 舟の中にローソクを入れ、毎年七夕の頃から盆にかけて子どもたちが道を引いて歩く風習が江戸末期からありました。
高橋さんが小さい時、昭和30年代頃は、子どもたちがじょうきを引いて神門通りを歩いていたそうです。「砂利道なのでじょうきがよくひっくり返って、燃えて泣いて帰ったのを覚えているよ。」と笑っておられました。
高橋さんが中学生の時に作られた鯛車が、今もご自宅に飾ってありました。
日々の制作について、「作品を作っていて、調子が悪い日は同じミスが続く。ないときは、20枚描いても、30枚描いても、ミスはないんだが、悪い時は続く。そんな時は、5日間くらい他の仕事をすると、調子が切り替わる。」と話されました。
買い替えのために遠方からも
旅行雑誌で見たり、大社の蕎麦屋に飾ってある凧を見て工房を訪ねられる方がいらっしゃるそうです。30年前にもらって家で飾っていた祝凧が古くなったので買い替えたいと、遠方から来られることもあり、長年やって来た喜びを感じると話されました。
また、旅先でご自身の作品を見ることもあるそうで、倉敷、東尋坊、長野の蕎麦屋にも高橋さんの祝凧が飾ってあり、あちこちで見かけるのだそうです。
今後の挑戦
「新しいものにもチャレンジしていきたいと思っています。ハガキにするとか、額にいれてみようとかいう話もあります。」「結婚式の引き出ものに使っていただくこともあって、なかなか数を用意するのは大変ですが、ご相談いただけたら嬉しいです。」
出雲市役所 商工振興部 商工振興課の「出雲の伝統工芸紹介『大社の祝凧』」インタビュー記事を転載しました。
オマツリジャパンで購入できるのは、飾りやすい2サイズ(ミニサイズ・小サイズ)となり、鶴と亀2枚で1セットでの販売となります。 リビングや玄関など色々な場所に飾って頂けます。10年以上部屋に飾ってある凧は色もほとんど変わっておらずとても丈夫です。「大社の祝凧」の赤と黒の洗練されたグラフィカルなデザインは、部屋の壁にかけると凧でありながらアートを飾る感覚でも楽しめます!